.....お問い合わせ.....

メール cha-two@mail2.kagacable.ne.jp
<< July 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
暑い夜が続きますね

 

 

山の中に住んでます。

 

さぞ、涼しく快適だろうとお考えになると、

 

おお間違い!

 

カエル君だって、ねむれないんだよ。

 

夜行性だったか、、、、

 

実は、昨日の貝はカエル君とコミニケーションとるためだったんだけど・・・・ゲロゲロ

 

ところで、

 

あの曜変天目茶碗、このカエル君の紋様に似ているようにおもうんだけど、、、

 

綺麗でしょ、;)

貝の話

 

 

沖縄が日本に復帰して間もなくの頃、本島や島々をリュックを担いで旅をした。

期間はおおよそ、働きながら一年半、

そんな旅先で、一番ながく居た石垣島、その商店街の店先に無造作に置かれた焼物の壺。

 

それは素焼きの様な無釉でよく言えば素朴で民芸そのもの、例えば「お歯黒壺」や「種壺」のような生活のために使われた道具のような焼き物であった。

 

当時、それが不思議に思えたのは、その壺の素地のなかに白い貝殻が無数に混ざっていたことだ。

 

後日、それは「粘りのない粘土に貝そのものを混ぜて粘度を増すようにした」と言った、余りにも法外なロジックを耳にしたように思う。しかし、その話が耳に残っているが故に、あれがどうして混ぜられたのか今でもぼくの頭の中にある「不思議の小箱」に収まっているのだ。

 

「藤澤くん、貝の焼いたのがあるけど使うか?」金沢の陶芸家のHさんに、まぁ、簡単に言えば「胡粉」のようなもので、「童仙坊とアルミナとその貝を混ぜて高台に目立てしたら緋色が出る」と言われ、やってみる。

 

これがなかなか良かった。

緋色もそうだけど、何しろパサパサだから器から外しやすい。

そんな遊びのような仕事をしていたところ、アルミナの在庫がなくなった。

 

うちは、まぁ「清貧」を生きてるので、それなりの工夫と言うか、「覚悟」みたいなのがあって、ある日そのアルミナ抜きでやって見た。

 

その結果は驚くべきもので、焼きあがったそれはそんじょそこらの岩よりも硬いものになった。勿論、作った器はすべてダメ....

 

このとき、ふと、昔、あの、若かった時、そう、あの旅先で見た「壺」を思い出した。

 

そのツボを「パナリ焼」と言う。

薪の威力

 

 

こう暑い日が続くと、急ぎの仕事とも言えど疎かになってくる。

実は、薪作りも同じで、そろそろ薪にしておかないと唯のゴミと化す、それも大量のゴミだ。

 

うちのストーブは前面から薪を入れる方式で、薪を入れやすいように36センチの長さに揃えている。

この原木は無料で手に入ったものだが、この冬使うにはちょうどいい乾燥具合、しかし若干菌糸があってはやく薪にしないとキノコや苔の餌食になってしまう。

 

急ぎの仕事に、薪割り...

 

ところで、もし我が家に薪が無いとすれば、冬は冷凍庫に入った状態で、石油ストーブではこの20畳の部屋を温めることは不可能。

 

 

ある時、ふと薪ストーブについて調べていたところ、薪のストーブとは遠赤外線の効果で身体の芯まで暖まる、としるされていて、なるほどって納得したことがあった。

 

 

うーーーん、じゃ、電気窯やガス窯と、薪の窯ではやはり焼き上がりに何らかの 違いがあるんだろうなぁーと、しみじみ感じているところです。

珪酸鉄を擦る

 

 

「青磁」というやきものがある。

その「青磁」にも種類があり、ある種の傾向があるように思う。

「青磁」は中国が発祥だが近代の日本の陶芸史のなかでは、その再現に心を燃やした時代があったようだ。

 

 

化学の進歩によって、今や「青磁」はだれにでも再現できるようになり、従ってその価値も評価も安定期に入っている。

つまり、もうある程度「完成」されている。

 

 

話は違うが、「天目」などもおなじで、遊ぶ余地の無いつまらない焼物になってしまった。

 (ぼくの私見ですが)

そんな「青磁」に風穴をあけたのが清水卯一や三浦小平二だろうか。

 

 

先だって ある料理屋さんから、そんな「青磁」の器の依頼が来た。

「永楽銘」の入ったもので、その銘の押印の方法がどうしても解けなかった。

 

 

そんなことがあって、持ち前の好奇心が刺激され、今回は金銭抜きの仕事になってしまった。

 

釉薬の半分はこの僕の住む村を流れる川石を使ってみた。

色見本を送ってみると、依頼者の注文は「もう少し濃く」

そんな訳で、、、、

 

今日の写真はその「青磁」を濃くする為の「種」珪酸鉄というものを擦っているところ。

 

 

モノを制作する「動機」、それは人それぞれだ。

たわいのない「動機」が人のこころに火をつける事がある。

ま、それはぼくの「遊び心」なのかな。

暗闇の先には、

 

 

各地で災害が続く、

僕の住まいも、山の谷間にあり他人事ではない。

住んでいる僕の家の先は、もう誰も住んではいない。

迷宮への入り口だ。

 

 

 

 

若い工芸家たちがこの先に工芸村をつくろうと企画していたのも、つい最近のように思う。

人と人とのつながりのように、チョットした齟齬が足許をすくうのだ。

いつかまた、そんなご縁があるように、僕は信じているのだけれど、

そのときはきっと、このさきはもっと明るく陽が射していることだろうと、カメラに収めた。

 

神々の棲む、、

k

 

 

ぼくの工房のある村から車でおおよそ20分、その村は、旧山中温泉町にあるダム湖から暫く上流にあった。バックウオーターと言ってその場所は丁度そのダム湖に渓流が流れ込む場所で、当時まだ若かった頃、渓流釣にはまっていた僕のヤマメ釣りのポイントでもあった。其処はちょっとした集落で、後に栗をくり抜いて造られた盆が古美術店で見掛ける「我谷盆」の産地だと知る。残念なことに、その村はそこからまだ上流のダム建設のため日本の原風景とも思われる建造物共々私たちの視界から消えてしまった。ただ、一つの文化、伝統的な工芸とも言える「我谷盆」の存在だけは今でも受け継がれようとしている。開発という破壊のなかにあって、連綿と受け継ぐ木工家が、その我谷から2キロほど離れた場所で制作に勤しんでいるのであった。

 

 

 

 

この場所もまた、人々の記憶の奥底にひっそりと佇むのである。「風の谷」、その集落を言う。6月になるとお隣の福井県から百人を超える人々が徒歩で集まり祭事が開かれると言う。それもまた、森の中の幻想的なできごとなのだが、渓流釣りができる歳でなくなった今、祭りだけは見に行ってみたいと考えている。先日、「神宿る島」沖ノ島が世界遺産に認定されたという。良いのか悪いんだか・・・・「風の谷」には「俗」な風は要らないように思った。

 

 

写真 : 木工家の森口信一さん  フェースブックはこちら⤵

 

 

https://www.facebook.com/events/228580410888683/

 

 

 

謎の世界

 

モバイルを手に入れてから暫くすると、カメラが壊れた。

 

以来、写真は専らモバイルに付いているバカチョンカメラに頼っている。

 

実は、これがイケてるカメラで、結構綺麗に写る。

 

つまり、欠点はその反対にボケの気分が表現できないことで、これを補填するためのソフトがアップルストアから無料で手に入る。

 

今日の写真はそんなアプリの一つで、任意に指定した場所をあたかも被写界深度が効いているかの如く加工してくれる"魔法の"アプリだ。

 

便利になって、いろんなことが出来るようになってきたけれど、使わない人にとっては無用のものがそのストアにあるから面白い。

 

案外、そんなソフトを制作する仕事がビジネスに繋がるらしいが、、、無料だとどう課金するのか、僕にはまだ謎の世界なのだ、

 

写真 : 色絵松竹梅文筒碗

 

 

インスタグラムのサイトはこちら ⤵

 

https://www.instagram.com/fujisawa_shigeo

邪心

 

 

最近、ブログともご無沙汰だ。

 

「楽しみにしてます、、」なんて、今日もこの加賀市にある美術館のボランティアの方に、

 

ところでこのブログ、記述するのは決して思いつきではなく、其れなりのモチヴェーションってのがある。

 

だいたい前日に構想をたてる。

 

後はぶっちゃけなんだけど、その方が勢いってのがあって、陶芸のロクロに似ている。

 

 

この仕事をするようになってしばらくした頃、

 

物を見る目に二つの目があることに気づいた。

 

ひとつは、文字通り「物を見る目」

 

そして、もう一つは、、、、「物を作る目」

 

一番目は、少し慣れれば誰にでもできるようになると思う。

 

例えば、お茶をやってる人が来る、殆んど間違いなく良いものを選びなさいます(笑

 

しかし、「作る方の目」ってのは......

 

 

 

そう言えば最近「切れ味」のあるお料理ともご無沙汰だ。

 

料理も器も似ているようにおもう。

 

 

今日はインスタお休みでした。

 

インスタグラムも、思い付きでは出来ないだろうなーと思うのであります。

 

写真 : 山中温泉、風谷の風景

暴れ川

 

 

この加賀市に何本かの川がある。

 

その中でも、「日谷川」と言っても多くの市民には馴染みがない川がある。

 

その川床の鉱質を知る者は殆ど、その道の地質を調査した国土地理院あたりくらいは把握しているかも知れないけれど、

 

窯で焼いたのは僕くらいだろう。

 

 

写真上は、永楽銘が記された天龍寺写しの酒盃(右上)

 

左下、酒盃はこの川床の鉱石を砕いて釉薬にして僕が焼いたもの。

 

この青磁釉に名前を付けるとすれば、さて何と名付けようかな 、と思うのでありました。

 

因みに、「日谷川」は僕の家の前を流れる「暴れ川」といわれている。

 

 

 

 

歯の話し

 

 

「こ、これよ、これが終戦直後の歯よ!」

 

二階の娘を大声で呼んだのは、京都にあった歯科の女医。

 

その当時から相当悪かった歯だけれど、娘たって大学生くらい、おいらだってまだ二十代。

 

口を大きく開けさせて、それを娘に覗かせ.....

 

 

以来、歯医者は愈々ダメになってからと決まっていたが、

 

いかんせん、咀嚼ができなくなるとあちらの歯もこちらの歯も、忽ち口腔崩壊の様相を呈してきた。

 

こうなると、どこの歯科も逃げ腰で、それとなくよその歯科を推薦する、

 

 

あちらで無視され、こちらでことわられ、、

 

運良く辿り着いたのが、今の歯科。

 

大きな病院の紹介状を持っていったところ、

 

「ああ、このくらいのでしたら」と、快く治療と相成った。

 

それから半年、気分のいいものです:)

 

野菜も奥歯で咀嚼できるようになりました。

 

 

そうそう、歯が美しくなったおかげで、ある病が改善しました。

 

耳鳴り、睡眠障害、胃の痛み、イライラ、、

 

 

もしかすれば、長生きするかも、と。

 

 

写真 我が家の坂道

 

 

インスタグラム始めました。器の写真はこちらでも⤵

 

https://www.instagram.com/fujisawa_shigeo