先日、娘が帰省した際、つねづね考えていたことを実行に移すことになった。
この世代になると、同年の知人にネットについて尋ねることも出来ず、
やっぱり若い人に聞くに限ることが多々ある、
なかでも、「Iフォンとスマートフォンの違いって、、」などとなると、
理解できるまで数日。。
娘の「これがいい!!」ってことで、
IPadを手に入れることになった。
早速IPadで撮った写真。
もうお分かりだとおもいますが、ぼくは携帯は電話だけ、使えます。
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先日、娘が帰省した際、つねづね考えていたことを実行に移すことになった。
この世代になると、同年の知人にネットについて尋ねることも出来ず、
やっぱり若い人に聞くに限ることが多々ある、
なかでも、「Iフォンとスマートフォンの違いって、、」などとなると、
理解できるまで数日。。
娘の「これがいい!!」ってことで、
IPadを手に入れることになった。
早速IPadで撮った写真。
もうお分かりだとおもいますが、ぼくは携帯は電話だけ、使えます。
正直に言うと、
ぼくはSNSを馬鹿にしていたところがある。
これからの「可能性」程度に考えていた。
ただ、恐らく、ぼくと同じ世代の人間の多くはぼくと同じくらいか、チョッと上のランクかもしれないけれど、、、
先日、インスタにアカウントをとってみたところ、
ある種の「カルチャーショック」を感じざるを得なくなり、、、
ちょっと、萎んでいる。
世の中には、ほんとうにいい仕事してる人が一杯いるんですねぇ、、、、
「ショップ」 自分でやるのは諦めました、はい。
ものづくりに専念します!
例えば、皿という概念の器がある。
その属性は平らなこと。
その平らな器に縁があり、
それはあたかも「額縁」のように存在し、
器としての「機能」を果たしている。
昔、ドイツにワイマール共和国があったとき、
この国に著名な工芸学校があった。
そのバウハウスという学校の教えのなかで、唯一ぼくの記憶にあるのは、
「機能こそ美である」と言う概念。
どこかの、書物で読んだ覚えがある。
たかだか、皿一枚のことだけれど・・・
今日の一客 古染付写梅文五寸皿
「あの人の轆轤はうまい」とか「上手な絵ですね」
などと、よく聞くけれど、、
これで喜んでいると、それは真逆の意味だって、いつか分かるときがある。
どうせなら・・・
「いいなぁ〜」と言われたい。
今日の一客 色絵白鷺文小鉢
先日のテレビによると、新品のデニムを様々な職業のひとに無料で穿いてもらい、『味』の出たそのデニムを新品の倍以上の価格で販売するという企画があった。
漁師の穿いたそのデニムは職業柄長靴を履く、なので膝辺りまでそのデニムのインディゴの色が残り、ユーズド加工されたものとは一味もふた味もちがった世界でたった一つのデニムに仕上がっている。
話によると、二着のデニムを(治験者)に穿いてもらい、一週間ごと専門家が洗濯、代わりばんこに穿いたそのデニムを一年かけて仕上げるという企画で、なかには坊主や大学教授、農家など、その職業に応じた色落ちが楽しめるといった趣向であった。
(参考までに、「尾道デニムプロジェクト」広島県尾道市)
ところで、焼き物ではどうだろう、、、
ぼくは今では磁器という汚れない焼き物を焼いているが、かつては陶器を焼いていて、属性として吸水性がある。
「陶器は育てる」という楽しみがある、と人は言うが、、、
貫入から染みこんだ水分がいずれは酸化して、あるいはカビと化し、言っちゃなんだけど、それが「風情」だとか「味」とか言われても、
それを、「乞食ヨゴレ」とも巷では。。。
さて、そのデニム、陶芸家が穿いたら、さてどんな「味」が表れるか、、、、
「乞食」になるのか、色とりどりの粘土の「味」がつくのか、チョッと、知ってみたい気がする。
ネットオークションを見ていると、、、
『欲しいなぁ・・』と思う古陶がよくある。
もちろん、懐との相談だけど、無理すれば落札する自信もあるけれど、、
ただ、そんなのが100個以上窓際に置かれ、あるものはリスペクトされ、あるものは忘れ去られ、、、
で、今回は、やめることにした。
しかし、写真だけで資料として残しておいても、かつてそれを再現する機会はなかなか難しく、
じゃ、いっそ、今のうちに形にしてしまえば、と。
昨日から今日まで、つくっては壊し、粘土を継ぎ足し、
『まぁ、こんなものだろう、』ということで、写真をパチリ!!
後は、染付と、色絵で、
おたのしみは蝶の舞う頃。
焼き上がりの予想寸法は W9cmくらい
ぼくらの仕事では専ら尺の物差しを用いる。
尺をセンチに置き換えると3,03cm。
で、仮にこれまでの窯業史を振り返ってみて、今僕らの使っている電気の窯の歴史を、
この一尺の物差しの中に当てはめてみると、乱暴だけど、その0,03cmにも当てはまらないだろうなぁ、と思う。
それほど、新しい窯の様式であり、歴史もない。
ところで、この仕事を40年ほどやってきて、正直、いまだに確たる自信もなく暗中模索しながらこの電気の窯を焚いている。
写真、下3点は明代の芙蓉手と呼ばれるもの。
いちばん上、先日依頼され、試験のため焼いたうつわ。
『どうしても25日には、、』
器を待ちわびるお店からメールや電話が入る。
『遅れると、大変なことに、、、』なる、と言う。
実は、うちには二つの電気窯がある。
ひとつは、40年ほど使っている、所謂勝手知った『窯』
この『窯』はぼくの歯と同じで、もうほとんど崩壊状態で、
5回に一回程度は窯焚きの途中で電熱線が切れる。
ただ、仕上がりは、そのときどきだがレベル以上の焼き上がりを期待できる。
もうひとつの窯、比較的新しい窯で、この窯はよそ様から頂いたもので、
焼き上がりがどうも、『よそよそしい』
同じ釉薬、同じ呉須の調合、施釉は細君には任せず、窯詰めに気を使い、、、
が、それが、まったく焼き上がりが違う。
『たいへんなこと』って、どんなことだろうか、、、
さて、ここで勝負をかけるべきか、安全策をとるべきか、、、、
『みんな、ちがうでのぅ〜〜』瀬戸にある窯屋は笑うだけだ。