最近の若い人をみていると、どんな生き方をしてるんだろう、と不思議になる。
なにせ、自分自身が喰っていけるのがやっとなのに、あの価格帯、あのデザイン・・
もしや、例のSNSの効用なのかしら、と邪推してしまう。
ところで、このブログをはじめたのはちょうど十年前だ。
12月の8日の午前からめまいや腹痛、嘔吐があり、様子をみてみると『これはやばいのでは、、』と、
細君に病院に連れてもらった。
暫く問診が続く、医師はパソコンに向かって症状を打ち込んでいる。
『ところで、吐き気は、、』と言ったところで件の医師の態度が変わってきた。
MRIやレントゲン、血液検査の結果が出てきたところで、病名が判った。
『これは、大変な病気です、それに症例はそんなにはないです、酒は飲みますか』と、
『いや、そんなものじゃなくって、一日に一升ほど呑まないと、、』
『それにアミラーゼの値が、、6000.。』(通常70ほど、1000で死ぬか生きるか、らしい)
『こんなことって、、、どうなってるんか』
彼は明らかにうろたえていて、
『フジサワサン、これは大変な病気です。予後も悪い』
『今から中心静脈にカテーテルを入れますから、ちょっと痛いですよ』
一ミリ以上あるような注射針に、デカイ注射器。
く〜〜〜う、と身を硬くしていると、それ以上に腹のほうが痛いと気付く。
病室はある種の戦場のような雰囲気で、一刻を争う状態となった。
この時、細君がまだ病室に付き添っていて、
そして、、、
『あの〜〜、主人はいつ仕事が出来るでしょうか』とドクターに尋ねた。
実は、この時ぼくは”生きるか死ぬか”の瀬戸際で、
『奥さん!!今すぐ出て行ってください!!』
細君はここで病室から追い出され、僕はその後お花畑の空中浮遊を体験するのだが・・
作陶という仕事はそんなことでもなんとかやっていける仕事なんだなぁ、とおもえるのも、今オイラが生きているから言える事で、いまでも、細君にその話をすると、『覚えてない!』という返事である。
病名は『重症急性膵炎』 死亡率は三割、快癒し一年の再発率三割、発症後の余命平均寿命60歳、国の特定疾患に指定されている。原因の殆どはアルコール依存に由来し、まれに胆石の膵管への閉塞、その他、原因不明。
あれから、10年、まだまだ元気に生きている。あの時、病室のテレビでやっていたのが『ブログのつくり方』であった。これも十年経った。
写真: 白九谷陽刻菊文小鉢 w15・2cm