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来年もよろしく♪

 

 

 

ぼくはネットに関わることはできるだけネットの中で解決できるように生きてきた。

そして、はじめてパソコンを手に入れてからなんどとなくその機種を買い換えているわけで、

そのすべては中古に依っている。

 

写真機も同じで、正価だと20万ほどするものがネットで探せば1万ほどで買える時代。

この写真機もそうで、同じものが何台もあるが、それはクラッシュしたもので、とくにこのメーカーに限らず、デジタルは壊れやすいという属性を証明している。

 

同じモノを何故手に入れるのかといえば、、、それは慣れているからと、部品や付属品を新たに手に入れる必要になった際とても利便性がいいから、といえる。(壊れたものを直すのも趣味のひとつです)

 

さて、ことしも今日一日となりました。10年続けたブログ、ネットに接続して17年ほど。時はSNSへと変貌を遂げようとしているようですが、、、、ぼくはやっぱりこのブログが好き。

 

今日の写真、壊れた写真機17年分。

 

 

このブログにご訪問いただいている皆様、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。

人生いろいろ、お皿もいろいろ。

 

 

そう言えば、歯の調子が良くって、いろんなものが咀嚼できるので嬉しい。

 

もっとまえに、この歯科医と出会っていれば、と。

 

でも、なんとか、最悪の状態は避けられたようで、

 

人生いろいろ、歯科医もいろいろ、ってことかしらね。

 

正月は何とか過ごせそう、あ、もちろん『歯』の話♪

 

 

今日の一客 色絵五寸皿

ナマズ向付色々

 

 

今年もそろそろ終わろうとしている。

 

久しぶりにプールで泳ぐ。

 

さすが、年の瀬ともなればプールもそれ程の混み合いではなく、好きなスタイルで10往復。

 

一時間200円が安いのか高いのか、実泳はおおよそ30分くらいかなぁ・・

 

さっと、泳いで、さっと帰る、そして、さっと仕事に。

 

これが、日曜日のぼくのルティーン。

 

今日の一客 ナマズ色々

10年前の出来事

 

 

最近の若い人をみていると、どんな生き方をしてるんだろう、と不思議になる。

なにせ、自分自身が喰っていけるのがやっとなのに、あの価格帯、あのデザイン・・

もしや、例のSNSの効用なのかしら、と邪推してしまう。

 

ところで、このブログをはじめたのはちょうど十年前だ。

12月の8日の午前からめまいや腹痛、嘔吐があり、様子をみてみると『これはやばいのでは、、』と、

細君に病院に連れてもらった。

 

暫く問診が続く、医師はパソコンに向かって症状を打ち込んでいる。

『ところで、吐き気は、、』と言ったところで件の医師の態度が変わってきた。

MRIやレントゲン、血液検査の結果が出てきたところで、病名が判った。

 

『これは、大変な病気です、それに症例はそんなにはないです、酒は飲みますか』と、

『いや、そんなものじゃなくって、一日に一升ほど呑まないと、、』

『それにアミラーゼの値が、、6000.。』(通常70ほど、1000で死ぬか生きるか、らしい)

『こんなことって、、、どうなってるんか』

 

彼は明らかにうろたえていて、

『フジサワサン、これは大変な病気です。予後も悪い』

 

『今から中心静脈にカテーテルを入れますから、ちょっと痛いですよ』

一ミリ以上あるような注射針に、デカイ注射器。

く〜〜〜う、と身を硬くしていると、それ以上に腹のほうが痛いと気付く。

 

病室はある種の戦場のような雰囲気で、一刻を争う状態となった。

 

この時、細君がまだ病室に付き添っていて、

そして、、、

 

『あの〜〜、主人はいつ仕事が出来るでしょうか』とドクターに尋ねた。

実は、この時ぼくは”生きるか死ぬか”の瀬戸際で、

 

『奥さん!!今すぐ出て行ってください!!』

細君はここで病室から追い出され、僕はその後お花畑の空中浮遊を体験するのだが・・

 

作陶という仕事はそんなことでもなんとかやっていける仕事なんだなぁ、とおもえるのも、今オイラが生きているから言える事で、いまでも、細君にその話をすると、『覚えてない!』という返事である。

 

病名は『重症急性膵炎』 死亡率は三割、快癒し一年の再発率三割、発症後の余命平均寿命60歳、国の特定疾患に指定されている。原因の殆どはアルコール依存に由来し、まれに胆石の膵管への閉塞、その他、原因不明。

 

あれから、10年、まだまだ元気に生きている。あの時、病室のテレビでやっていたのが『ブログのつくり方』であった。これも十年経った。

 

 

写真: 白九谷陽刻菊文小鉢 w15・2cm

 

 

来年のカレンダー

 

今から二十年ほど前、世話になっていた料理人が亡くなり、それからの作陶活動に支障が出てきた頃、『まいど!!』と言ってやってきたのが、Sさんだった。

 

『なんや、喰っていけんのか』

 

この世界も人様との繋がりがあってこそ、そのために○○展と言ったその筋の公募展があったり、組合があったりする。どんなものをつくっていても、『宣伝』しなければだれの目にも触れないってことだ。

 

片っ端からSさんが目の前で電話する。

その時の東京の食器専門店は今でもお世話になっている。

 

『麻布のギャラリーやけど、どうや、、』

これはいままで自分のやった個展ではハイクラスのところで、、

オーナーは書家、片手間にあの吉○から引き抜いた料理人を看板に和食の店を隣に開くという『やり手』で、ギャラリーのスタッフにいたっては、美大を出た才女でその展示はアートのセンスが輝き、おいらの出る幕もなく、すべてお任せ・・・

 

暫くするとニューヨークに出店し、恐れ多いので『またお願い♪』などとは言い出せずにいたところ、今年はその彼のつくった手書きのカレンダーが届いた。

 

本当は中をお見せしたいくらい美しいものだけれど、まずは表紙だけね。

正月の仕事

 

 

『こんなものが欲しい』と預かったのが永楽の八角酒盃。

この酒盃は青磁の仕上がりで、どちらかといえば古伊万里風、、

またよく言えば、天竜寺のそれに近い。

 

僕は京都で修行していた頃、青磁を専門にしていたところにいたので、それなりの技法は心得ているつもりで、この器を観た時、『暗いなぁ、、』っていうのが第一印象だった。

確かに、古伊万里の青磁も暗い、あの明代から清朝のころの青磁とくらべると格段の違いがあると、ぼくは思う。

 

実は最近、いいモノを見つけた。

僕の住んでいるこの村の川底が陶石でできていることが分かり、、

で、一度、あるものを加えて焼いてみるとこの天竜寺風の青磁になった。

 

陶石は太古の昔、火山活動で生じたマグマが時間をかけてその表層に現れ、その花崗岩が風化し粘土分(カオリン、もしくはチャイナクレイとも呼ばれる)が堆積し固まったもの、とたしか学校で教わった。それの不純物のないのが現在、『陶石』として磁器の素地につかわれている。

 

けれども、自然は複雑で純粋でないものが殆どであり、この村で産する『陶石』には程よいチタンが含有しているようだ。つまり、適度な鉄分とチタンの含有量が程よい天竜寺青磁風になると、ぼくは『ガテン』している。

 

今日は、僕の住んでいる村の川上に車を走らせ、まぁこれだったら、という大きさのこの村の陶石を採取してきた。

これを正月、カナヅチで叩き、細かくしたものをミルに掛け、それに家にあるカエデの木灰を加えるとチョイト毛色の変わった釉薬になるのではないかと、期待している。

 

と、まぁキーを打ってきたけれど、正月は玄関の改修作業があって、僕の試みが叶うかどうか、、、なにしろ、こんなことは細君の留守にやらなきゃぁね・・・

 

写真 永楽銘八角盃 と 陶石

吹墨のはなし

 

 

吹墨って技法はあまりにも凡庸で見慣れている。

きっと、染付の技法とともに付かず離れず共生しているかのようだ。

染付けがいまでも廃れないようにこの吹墨って技法もやはり使い方によって今もモダン、、

 

細君の実家は陶業地で、多治見市市の倉といえば最近では『さかずき会館』というミュージアムがあり、ご存知の方もアルカモシレナイケレド、彼の地では昔から盃が焼かれた。たとえば、隣町は飯碗だったり、皿だったり、街ぐるみがある種の共同体のようなものであったと聞く。

 

だから、、、こんなエピソードがあって、なるほどと思えるのに、轆轤がある。この市の倉で使われていた手回しの轆轤は盃に合わせてケヤキの二寸ほどの厚みしかない軽いもので、大物をつくるところではその厚みもきっとおおきかったに相違ないと想像できる。

 

 

そんな窯元がお互いに競合しているとお互いの手の内は『企業秘密』となり、よそ様の仕事場に入ること自体、失礼な出来事となる。そのような土地柄で育った細君だからこそ、、、、

 

『あ、それは秘密』と言って写真撮りを躊躇したのがこの吹墨用の道具。

 

吹墨に用いる道具も様々で、何がどうというより、道具によっても出来上がりの表情が違ってくるのは当たり前で、ぼくは道具の公開にはそれほどのコダワリはない。つまり、表現の方法よりも結果に興味を感じるので、道具もそれこそ進化すべきだと信じているからかもしれない。

 

この吹墨の道具は松葉を束ねたもので、むかし細君とこの加賀の塩屋の松原でできるだけ大きな松葉を集めたことがあって、それをいまだに用いている。不思議なことに折れることも、減ることもないのでおそらく一生分くらい持つだろなぁ、と思う。

 

ところで、その細君の実家では義父によると友人が仕事場に入ってきても、使っている轆轤の道具も隠すそうで、たとえば、近在の釉薬屋なんぞも積みあがった原材料の袋はすべて裏返して置かれている、という。

 

『わたしは技法はすべて公開してます』

こちらに来て、ある陶芸家にそういわれた時、きっと、それは後々『高くつく』のではないかと、教わりたい気持ちを押し隠しいまだに聞くことはない。だいたい、芸というのは教わるもではなく、『盗んでナンボ』の世界なのだ。

 

そんなぼくも40年、いまだに分からないことが一杯で、失敗をかさねている昨今なのです。

 

今日の一客です。 染付鳥形小鉢 としておこうかな。。。カタチは枇杷と鳥をモチーフにしております。

反面教師

 

『左の黒飴も、右の包装だったらチョッと人様に持って行けるかもね』と細君が言う。

 

先日、知人が持ってきたものだが、左は例の『百均』のもの。

 

右のものは少し『作り手のコダワリ』を感じる。

 

ネットで調べてみると、どちらも製法にそれ程の違いもなく、味もそれなりに良い。

 

包装紙といえども、おろそかにはねぇ、、オイラも気をつけないとと、思うのでありました。

赤絵草花文蕎麦猪口

 

 

 

あるエコノミストによると、『多くのビジネスの寿命が30年程度である』とのスタンダードがあるようだ。

 

 

もちろん、誰でも何処にでも、『例外』という規範が存在するが、仮にその言説を受け入れたとすると、

 

 

僕はこの世界、つまり陶芸の世界で40年の歳月を生きている。つまりもうそろそろ『熟成』するということになる。

 

 

まぁ、ワインやウイスキーで謂えばそろそろ飲み頃ってことかいなぁ・・・

 

 

今日の一客 赤絵草花文蕎麦猪口 口径6,2cm 高さ5cm

色絵枇杷形小付け

 

 

この加賀市山代温泉に『ブルースが聴けるおでん屋』がある。

 

30年ほど前、たしか赤提灯の居酒屋だったところに今はそれがあり、

 

先日、若い人の演奏を楽しみに出掛けた。

 

『え、と昨日は兵庫のたつのというところで演奏させたいただいて、、、

畳の上でやったのは初めてでした』ってなことを聞きながら、ふと、それが

誰のところだったのか僕はわかっていたのでちょっと可笑しかった。

 

音楽をやる人もそうだが、焼き物を生業にしている人も、

『旅』の仕事が結構ある。

 

さて、初めての土地へ来て何処で、誰と、何を楽しんでいたのだろうか。

 

そのたつのに住む男も音楽家で、30年ほど前、依頼して近在の寺で演奏してもらったことがある。

ぼくの家に泊まり、その家族を見ているうちに、ぼくも子供が欲しくなり、今の娘が生まれた。

 

人生は旅のようなもの、とよく謂われる。

報われる人生もあれば、そうでない旅もある。

たつのの彼も、先日ポーランドで演奏したという。

 

縁というものを感じながら、演奏とお酒と、、

Nさんありがとう、楽しかったです♪

 

 

今日の一客 枇杷形小付け