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『陶工』という名の職業
『陶工です』

職業を聞かれたとき、ぼくはそのような応え方をしてきた、と思います。

ところで、その『陶工』とはどのような職業でしょうか。

じつは、ぼくも”漠然と”使っていた言葉ですが、、、


『陶工』について先日考えてみました。

轆轤師だけが『陶工』ではありませんね、

絵師、細工師、型を起こす人、型を作る型師、土を製土するひと、陶芸に適切な原材料を探す人、窯を焚く人、作る人、薪を集める人等々・・・


『陶芸』という名が一般に使われるようになったのは最近のことです。

昔は陶芸は窯業としてその国の産業であったのです。


ぼくたちは学校で教わったはずです。

伊万里を興したのは李三平という朝鮮人陶工だと。

彼によって、この日本で『陶石』が発見された、と。

さて、彼はどんな『陶工』だったのでしょう。


藍古九谷陽刻文皿を作るためにどうしても知っておきたいことがありました。

続けます。
打込み師
モチベーションという語彙があります。

仮にぼくが作っている焼き物の原動力となっているものがあるとすれば、いったい何だろう、と思うのです。

数年前、一人の女性がぼくに磁器の写真のコピーを送ってきました。

『同様のものが欲しい』という依頼でした。

それは初期伊万里の焼き物で、それまで明代の焼き物を専らとしていたぼくには新鮮な感動を覚えました。

特に興味を感じたのは藍古九谷陽刻文皿です。

実はこの当時、ぼくは陽刻という技法にある種の可能性を感じていた頃で、

(つまり、もともとは白磁をやろうと思って修行時代を過ごしていました)

で、ある職人さんと出会います。

その職人さんは、これからお話しすることになる『打込み師』で、本格的な『打込み』の仕事を目の当たりにする機会に恵まれたのでした。

ところで、、、

『芸』の仕事はタダで物事を教われるほど甘くありません。

ぼくは数年間、その職人さんの元に通い、仕事を依頼しました。

その仕事を依頼する数分間と、出来上がった器を受け取る数分間がいちばん『たいせつな時間』だったのです。

それは、今だから言えるのですが、、、彼にも『分かっていた』ことでした。


さて、この『打込み』の仕事は記録によると、日本では1640年頃、つまり江戸時代の初期、伊万里で始まったと言われています。

ちなみに、初期伊万里が焼かれたのは1610年と記されているようです、(研究者によっては多少ずれがあるようですが、、)

 
香を立てる


『香り』をテーマにしたエキシビションを提案されたことがむかしあったような、、、

今日の写真 香立て

形は四角、三角、丸と、迷いに迷った末、

最もプリミティブな形態に。



輪線文豆皿


ぼくの仕事は専ら和食器

で、この仕事はそれほど儲からない、と言う属性があり、

それゆえ、年中清貧に甘んじることになる。

まぁ、俗に言う、赤貧の一歩手前くらいかしらね。。。



で、今日の一客。

輪線文豆皿

以前つくった古染の輪線文の六寸皿をそのまま小さくしたものが欲しい、とお料理やさんのご注文で、、

口径が7センチ、とのご指定だったので、これがまた高台の径とのバランスが難しかった。








でも、今回は自分でもいい感じに焼きあがったと思う、

下、どことなく初期伊万里の気分が、ちょっと漂ってるかな^^



手前味噌なはなしで、、、




残暑 お見舞い申し上げます。
朝夕もすっかり過ごし良くなってきましたね。

秋明菊もそろそろ、ってときにイノシシですね、悪さをするのは、、、

さぁ、左手の親指もテーピングのおかげで痛みも気にならなくなりました。

仕事が一杯溜まっているので、今日は窯詰めなんですが、

蝉の声が、、これからの暑さを予知するようで、、、

残暑、お見舞い申し上げます。



今日の一曲を 






この水引草もそうだけど、ぼくが都会からこの加賀市に来た頃、

蕗のトウも水引草も初めて聞く名前だった。

蕗は街では葉っぱを取って売られていて、

細い棒状のものが自然界にあるものだと信じていて、、、

正直、恥ずかしい限り。。。

秋らしい陽射しになってきたので、一枚

一緒に写りこんでいるピンクの花は何かしらね、、







ところで、ぼくたち陶芸の世界では、ロクロ引きを通称『水引き』といいます。

下はその際つかう藁シベを二つに裂き、編んだもの。

もちろん、今ではこのようなことは誰もしない筈ですが、

昔はお茶の世界では『糸底高台』といいました、

この藁シベを使うと、キリッとした切れ味のある糸底になったのです。

ぼくは今から二十年まえにこんな方法をやめましたが、

今でも、こんな方法で『水引き』をやっている陶芸家がいたら、、、

それはきっと、相当な『変人・奇人』かもね。

お会いしたい(笑)





 
田舎暮らし
里山の暮らし、、、

20年前はよく手ごろな野菜を育てたものです。

サツマイモやジャガイモ、トマトやお倉、きゅうりに冬瓜、、、、

10年ほど前からイノシシがやってきて、

それは七人の侍にでてくる、まぁ野盗ですねぇ、、

暗くなると彼らの運動場と化した家の周り、、、とほ。

どうやら、ウリボウが来ているようで、、、

昨日、50mの網を家の周りに、

すると、、、

『キ〜〜』とか『キャン』とか、、

どうやら、多少は効果があるようです。

田舎暮らしも、楽じゃないのです。


さて、今日の仕事は、、日曜日ですが電気窯の線の張替えです。






これがまた、暑い。
 
プレゼントをプレゼントする


『父の日のプレゼント』に、と娘からもらったメガネ。

どうせなら、運転用にと調整してもらったものの、もともと近視は強くない、

どうしたものやら。


今月に入り、この北陸にもアウトレットが出来た。

で、細君とその富山にあるショッピングモールに、、


ぼくの目的は、そのメガネのレンズを老眼用に換えてもらうこと。

そのJINSとかいうメガネ店、ぼくのメガネをみるや、

『無料で交換させていただきます』


なかなか、使いよいのであります^^



『おみやげ買って来たよ』

90日間のクルージングから帰ってきたAさんから帽子が届いた。

『ちょっと、派手やけど被ってや』

と、言われたけれど、、、

これ、完璧な女性用^^;



『ウン、欲しい』

8月は娘の誕生月

メガネのお返しは帽子。


 
焼き物屋の仕事



仏陀とご縁のある象も我が家では狛犬代わりで、

玄関に置いとります。


さて、昨日は折れた前歯が出来上がり、やっとまぁなんとか。。。

打ち込みの器もあったりして、これが時間との勝負だったこともあり、

休む暇もなく、


今日はこれから、お風呂にでも行きたい^^;



輪線の豆皿仕上げました。↓



上を向いて歩こう


今日の一曲です。
吉祥文



『南海の古陶磁』という書籍を紹介されたことがあり、

とくにベトナムの焼き物を勉強していたこともあって、

書籍もそうだが、古陶の発掘品や海あがりのものを蒐集したことがあった。


もとより、ぼくは蒐集家ではないので器をつくる『資料』として興味のあるものを中心に、

というか、、、ぼくにでも手に入る『安いもの』を集めたことがある。


べつに、安いものだから『安南』というわけではないが、二三十年ほど前にはそんな焼き物の写しが流行ったことがある。

うちでもそんな写しを作っていて、ある時焼きあがった湯のみを嫁いだ妹に送った。

その妹が、義父の通夜の席で、手元にあったぼくの湯呑でお茶を出したときのことを、面白おかしく聞かせてくれるのであった。


ベトナムの焼き物の見込みには『文字』が描かれたものが多い。

主に、吉祥文といわれるものが中心で、そのとき使われた湯のみの見込には『福』と描かれていた。

彼女によると、客はうつむき加減で、ジッとその湯呑の見込みを眺めていたという。


その妹も、早いもので亡くなって10年になる。

『福』という語彙には『冥福』という意味も含まれている、とぼくは信じている。


ぼくの想いでの一曲です。






写真:ベトナム、ホイアンの港の沖で見つかった難破船から引き上げられた陶磁器の碗 
口径6・5cm 高さ4cm 『打ち込み』技法で作られ『輪花』様に仕上がっている。