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ミツバチの巣箱


さて、Aさんの『ニホンミツバチ』に想う気持ちは日に日に膨らんでいて、その青年のような気持ちが心地よくこちらに伝わってくるのであります。

ニホンミツバチの多くは何故か、お墓に巣を作るようです。
このような巣を『自然巣』と呼ぶようで、調べれば調べるほど、ニホンミツバチを育てている方々が増えていて、ある種、趣味の域を超えてているような按配であることが分かります。

お墓に巣をつくるなら、、『焼き物』で作った『巣』もよろしかろう、、、と思いきや。。。
ありました、現在でもエジプトでは『未焼成粘土と藁と糞を混ぜ合わせ、細長い円筒形にしたもの』が使われていると。興味のある方は、こちら

そんなわけで、わたしも挑戦してみました。

写真: 磁器製ミツバチ巣箱(現在乾燥中)


あ、仕事もしております。

 
ニホンミツバチの捕獲は、、
さて、ミツバチはどうなったか、、、

Aさんによると、すでにニホンミツバチの分蜂の時期が過ぎ、新しい巣箱には反応がなかったとのこと。
女王をおびき出すフェロモンにも見向きもされなかった、という返事であった。つまり、、フラレタのである。

で、このような場合、次にとるべき行動は、略奪、という実力行使に出ることになる。まぁ、このケースの場合、墓に手を突っ込んで女王を巣もろとも引っ張り出すということだが、、さて、あとは墓の持ち主に骨壷を出す了解を得るだけとなった。

『何か、いい方法はありますかね』とAさんは言われる。
『そりゃ、墓に蚊帳を仕掛けて、Aさんが中に入って引っ張り出すしか、、』

どうやら、Aさんにはその覚悟ができているらしく、、、
蚊帳以外の準備は万全だとか。

さて、ニホンミツバチの蜜の味にたどり着くにはこれからどんな難関が待ち受けているやら、Aさんの活躍をきたいするのであります。

きょうも、写真がありません^^;
つぎの写真はAさんの無事な顔写真であることを願っております。
君子危うきに・・
『ご無沙汰しております』
ぼくはご先祖様がお世話になっているお寺に電話を入れた。

これまでの仔細を住職に話すと、、、
『実は困っております』というお返事。。

ミツバチは空を覆うばかりに飛び交い、その羽音も離れたところから聞こえる。
この辺りは寺が間断なく立ち並び、山ノ下寺院群といわれている。
蜂の出入りする墓と、そのお隣の庫裏との距離も微妙で、窓を開けるわけにもいかない、
本当はおとなしいといわれても蜂は蜂、機嫌を損なうと思うと。

『きょうは”専門家”がいきますので、、』と、伝えると
どうやら安心されたようで・・・
一応、ぼくの役目は終わった。

最後に『あ、費用はタダですから』と付け加えた。

したがって、”専門家”であるこの村のAさんにとって、今日、明日が勝負の時なのである。
ぼくもその捕獲劇を見てみたいけれど、Aさんが蜂に刺される姿は見たくはないし、巻き添えになってもね(^^;

興味のある人は、是非見に行ってください。
あ、Aさん、そうです!!  あの方です(笑)
ニホンミツバチ


『ニホンミツバチがいるらしいね、、』
この村のBさんがやってきた。
ムラでは情報が早い。

どうやら『タダで蜜にありつける』と思われているようで、、、
しかしこれも、やろうとなると、初期投資が10万から20万は掛かるという。
逆に言えば、、、『儲かる』のだ。
なんたって、蜂は勝手にやって来るのだから、、

今日はその巣箱の持ち主のAさんを伴って、ぼくのご先祖さんが世話になっているお寺に行ってきました。
先日、母の命日でお邪魔したところ、その寺にある墓から夥しいニホンミツバチが舞っているのを発見。
それで、、、その蜂を捕まえるために・・・

ところで、ぼくの家は、所謂『古民家』になります。
もう百年以上経っていますから、焼き物だったら、『骨董品』になるはずです。
そこに、、、、なんと、今日、ニホンミツバチが住んでいることが判ったのです。

それを見つけたのは、細君で、いや、ただ、その場所が悪い。
つまり、100年も経った古民家となると、トイレも『ドボン』の汲み取り式で、その蜂はそのトイレの便槽の真横にある割れ目から出入りしているということがわかった。

墓といい、ドボンの便槽といい、、
『わたし、ニホンミツバチの蜜は、、、』細君はかなり逃げ腰に、、

ただ、その生態はいまだ解明されておりません、はい。

写真: 墓の割れ目からぼくの写真に写るニホンミツバチ
残念ですが、霊魂は写っていません。

 
ネットオークション(5)白磁散り蓮華


今から数十年前、ベトナムの港町、ホイアンの沖で明代の難破船から膨大な陶磁器を含む『財宝』が引き上げられた。
その海上がりの陶磁器がイギリスのオークションハウス・サザビーズに掛けられ、世界の注目を集めたという。

『ホイアンの奇跡』といわれている。

この写真の『散り蓮華』は1999年に清代の沈没船『T号』の海上り品といわれている。(このあたりは本当かどうか小生には判別できない)

ネットオークションに出品される『財宝』のなかにはこのような海上りのものや発掘品が数多く見られる。


『フジサワサン、掘ってみた♪』
この家に引っ越してきた頃、ご近所のAさんが僕に尋ねた。

彼によると、僕が住んでいるくらいの家の台所の下に、必ず埋められているものがあるという。
それが『お歯黒つぼ』というモノらしく、、
価格もピンからキリまで、、、良いものだと数百万もするらし〜〜〜〜

うまくするとその中に金銀財宝の類もあったりして、などと妄想するのでありました。
なんたって、こちらの元の持ち主は、大阪で宝石商として財を成した方。

ま、判っているんだけど、台所の床をはがすのが億劫で・・・

ところで、そのお宝、もし見つかったら、、法的には元の持ち主に戻ると聞いております。

さて、その『T号』で見つかった清代の『財宝』はどうなったか。
当時、中国はその権利を主張することもなく、サルベージ会社のものとなったとか、、
その額、3,000万ドル。

そして今、その一部が僕の手元にあるわけで、不思議な『ご縁』を感じるのであります。

ホンモノならば、ね♪

写真上: 白磁散り蓮華
写真下: 陽刻小鉢(小生作)と組み合わせてみました。ま、いいっか、満足^^



 
ネットオークション(4)唐子


『陶芸』という仕事は全体としては一貫した作業の中で出来上がるオーケストラの世界に例えることができます。

ですから、土を探す、その土を練る、轆轤をひく、絵をつける、施釉する、そして、窯を焚く、別々の仕事の集合です。

その技法は昔から、秘密にされたのです。ですから、『その釉薬の調合は?』『その土は何処で、?』なんて聞くことは失礼なことです。ふつうは『盗む』のです。

耳が聞こえない、口がきけない、知的な障害があるなどということは、芸にとってそれは不利なことでしょうか。むかしは多くの窯場でみられた”風景”であり、秘法が場外に洩れない方法でもあったのです。


さて、今日の一客、『染付唐子文猪口』

これも、わたしがネットで落札したものです。おそらく明代のものと思われます。
私のところでは『唐子』の文様がこの他にもあります、鉢、皿等々。
ところでその『唐子』に共通した特徴があります。

デフォルマシオンとは、絵画や彫刻などの表現方法のひとつです。ですから、そこに意味がある、と考えるべきです。
唐子の頭や表情を見ていると、それははたして、本当に、『子供』なのでしょうか。


『子供』にたとえた『自身』なのか、それとも・・

ふと見ると、お隣さんの庭に野蕗(ふき)が一面に広がっています。

この時期になると、もう蕗も薹がたっていて山菜としての価値はありません。

同じ薹でも『蕗の薹』でしたら、春の香りをいただけるのですが。

ところで、『山菜』を美味しいかどうか、などと考えるのは無粋なことです。

『春』をいただくのですから、、


さて、オークションについては次回。
ネットオークション(3)玉取り獅子



オークションで売られているものが、なにも完全なものとは限らない、

割れた物だってあるのです。


さて、今日の一品、『初期伊万里玉取り獅子文陶片』

そして、下の7寸の鉢は、カンボジア出土の『色絵玉取り獅子文鉢』





現物は長いあいだ土に埋もれてあったかで、色絵の部分が剥げています。
ただ、角度をかえて透かしてみると、僅かにもとの絵がどんなものか想像が付く程度に判ります。焼きあがった当時はさぞかし豪華なものだったことでしょう。

産地については、明代の古染付を南方のほうで写したものかもしれませんが、想像力をたくみにして考えてみれば・・・
いまだ見つかってない(幻の)古窯があの広い中国にまだまだ残っていたとしても、不思議なことではないのです。

さて、『玉取り獅子』は子宝を授かる、という意味合いのおめでたい図柄です。

ネットオークション(2)紅皿


『お茶、する?』ってことで、あるお茶屋さんにオジサン二人で出かけました。

頼んだ棒茶も無くなりかけたころ、ほうじ茶と、たしか卵白でできたメレンゲというのが、ちいさな豆皿に乗っかって出てきました。

その器の寸法は直径6cmほど、随分前にぼくが作ったものです。

もともと紅皿として使われていたものを豆皿にアレンジしたもので、この器もネットオークションで手に入れたものでした。

この器は江戸時代初期、伊万里で焼かれた所謂『初期伊万里』とよばれる手のもので、型で大量に作られたものと思われます。

器には女性が唇に差す紅が刷られており、おそらく使い終わったものは海か川になげられたか、今でもある地方ではその陶片が砂浜から見つかるようです。

紅は紅花という黄色い花から抽出したものを加工したもので、先日この記事を書くため調べたところ、その花弁を丸い塊にし、発酵させた写真を見つけました。

『活け花師』とよばれた、今は亡き中川幸夫という方の作品集に発酵したチューリップの塊から血のように流れる液体の写った作品がありましたが、中川氏のあの作品も、きっとどこかにヒントがあったのではないかと、ふと思いました。

たかだか、ちいさな紅皿ですが、そんな器からでも、ちいさなエピソードに出会えるように思えます。現在でもこの紅の花は山形で栽培されているようで、その花は県花でもあります。

もちろん、いまでもその紅は販売もされているようですが、この初期伊万里のような『夢』のあるような器を探し出すことはできませんでした。

この初期伊万里の紅皿も、たいした落札価格では無かったと思いますが、イザ探すとなると奇跡のような必然性が降りてこないと出会えない、これもネットオークションの楽しみのひとつなのです。
ネットオークション(1)


ネットオークションというものがあります。

もし仮に、その買ったものを全てこのブログで毎日紹介するとすれば、半年以上の連載ができるかもしれません。

『あんな写真だけで、、』とよく言われますが、それなりに嵌れば『お宝』だって、夢ではないのです。

さて、今日の器です。

『祥瑞松竹梅文筒湯呑』

ま、そんな触れ込みだったと思います。

これが真っ赤な贋物で・・・

大量生産の『転写』というやつでした。

100以上ある器の中でこれだけは、『やられた!』と思いました。

さて、オークションではシバシバ贋物と出会います。

お買い求めてから、その相手を『評価』するわけですが、

『非常に良いから非常に悪い』まで数段階あるわけで、だまされた方のコメントを読むこともできるのです。当然ですがその反対に売った方も負けてはいません。

ところで、私の場合ですが、だまされても『悪い評価』を入れたことはありません。

つまり、こちらに『見る目がなかった!』ということです。

もちろん、器を割ったりいたしません。

戒めのために、仕事場のいちばん目に付く付くところに置いてあります、はい。

写真に撮ってご覧いただいて如何でしょうか(笑)

このテーマでしばらく続けます。

追記
ちなみに、この器の落札価格ですが、かなり前のことですが5千円から1万円までのあいだだった筈です。『資料』としてはこの程度でしょう。