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かみさまが降りてくる



『最近、かみさまが降りてこなくって、、、』

阿川佐和子さんと壇フミさんの対談の一節、もう随分まえの芸術新潮での話。


これを訳すと、『今不調なのよね、』 ではなく、、
つまるところ、モノを作ることは、(書くこともそうだが)
いいものとは、”作ったモノ”ではなく”出来たモノ” と言うことになる。


今日の一客、 白磁陽刻文向付

最近、かみさまが降りてくるようになったようだ。

3Dプリンター


やきものは焼くと縮小する、ということは、ぼくにとっては当りまえのことなのだが、いずれはそんな時代もなくなるかもしれない。

報道によると考古学の世界では3Dプリンターが活用されているそうだ。
つい最近では卑弥呼におくられた”魔鏡”というものがその3Dで複製されたとか、、、

その映像を見る限りあれがプラスチックだとは思えず、磨かれているその鏡は金属そのもののように思える。

つまり、時代が変わったのだ。

多くの陶芸家は水を使って成形をする、それが一般の常識なのだが、ある種のおなじ陶磁器製造過程では水を使わないことがある。

いまから3,40年ほど前、愛知県瀬戸市にある大量生産の陶磁器会社を見学した。

土が粉状になっていて、それが型に入ると同時に『プスッ』という音がした。
その刹那粉状の粘土と油が混ざり、一瞬のうちに乾燥した器ができるのであった。

さて、3Dプリンターでやきものをつくると、データさえあれば、どんな製品でもできることになる。

『今度は、故宮の気分で、、、』 と、ネットを検索する。

もちろんネットで決済をして、
好みのデータをダウンロードする。

縮小、拡大をセットし、スイッチを入れる。

その頃になると、もう陶芸家なんて商売はなく、”焼きや”というのができて、3Dプリンターでできた器をその焼きやに送るわけだ。

『わたし、龍は嫌い、ウサギがいいわ♪』ってことになると、

その絵も一流の絵師から転写まで様々で、、、

世界に、それ一つしかない、そんな時代が来るのかもね。


最近の陶芸家はコンピューター制御のついた電気の窯をお求めのようだが、古代のひとが今の電気窯を見たらどう思うだろう、とふと思った。

写真: 手前 焼成前の器 後ろ それを焼くと、、、
片栗粉



陶磁史によると、有田で藍古九谷が焼かれるようになった1640年ころ、絵師やロクロ師のほかに型打ち師という職種があったという。

手元にある『日本のやきもの・有田 伊万里』を開いてみると、型物の多種多彩な陶磁器に驚く。

『フジサワサン、小麦粉じゃだめですか・・・』 と聞かれたことがある。
型打ちの際使う粉のことである。
あの手打ち蕎麦でいうところの”打ち粉”と思えばよい。

おなじ質問をぼくも職人さんにしたことがあって、

『片栗粉でないとねぇ、、』 などと、知ったようなことを言っていたが、それがなぜなのか、調べてみた。

文献によると、

『片栗粉は精製したでん粉のことである』 とある。

そのでん粉は常温の水には溶けず、いわばコロイド状に水に混ざっているらしい。

この性質が、型と粘土の間に薄い幕をつくり、綺麗に型から抜ける素材となる。


ところで、この型打ちでつくった器を素焼き(700度くらい)で焼くと、
その片栗粉が焼けて無くなる、と思ったら大間違いで、、、、
絵を描くときや釉薬を掛ける際、邪魔な存在となる。

『水で洗っといて、』

修行中、よく言われたことを思い出した。
白磁輪花蕎麦猪口


こんなブログでも、観てくださる方がおいでの間は、、


今日の一客

白磁輪花蕎麦猪口
 
XPの終わり



このところ、ブログをサボることがおおくなった。

誰も見る人がいない、というわけでもないし、それなりにブログで検索した人が家においでになることを思えば、ブログも無駄ではないように思う。

では、あのSNSとかはいったいどんなものだったのか、、、
Facebookにアカウントを設けたのだが、あるとき、それがそれ程意味がないように思えた。

まず、パソコンが重くなる。
第二にこのシステムはパソコンでは使いにくい。

つまり、あれは携帯のために生み出されたシステムだということになる。

陶芸をやっている。
仮に、その時ロクロを回しているとする。
携帯がそのロクロの横に置かれている。
やがて、その携帯のベルが鳴る。

誰かが、記事を載せたのだ。
(いいね!)ってやる。

もちろんロクロに集中できるわけはない。
お友達が100人もいれば、ロクロどころではなく、(いいね!)を連打する。

SNSの悲しさは、お友達が10人ほどいてもはじまらないのだ。
つまり、あの芳名帳と同じで、数百、数千とあればあるように、

そしてそのうち、仕事がFacebookになる、もうプロの仕事だ。


『ポロン』といったかどうか、メーラーが新着メールを教えてくれる。

XPの時代も終わるらしい。

写真: 染付捻子文小皿
折れた歯



歯の汚れは西洋では『貧者の証し』 とか、、

先日、奥の仏間を整理していたら、八木一夫著『懐中の風景」が出てきた。

いつだったか、この本の一節に彼が『レンコン』が嫌いだ、とか書かれていたのを思い出した。

レンコンは歯の悪い者には難儀な食材で、ぼくはこの一節を読むだけで彼の歯の状態を想像できた。


折れた歯は食事のたびに、その咀嚼のたびに、揺れ動く。

プールからあがり、舌の上でコロコロやっていると、その歯が ”ポロリ” と、とれた。

その折れた歯を手にとって、臭いをかいでみる。

ぼくの人生と共に歩んでくれた友との、別れのように、、


写真: ヨツール オーロラバーン

薪ストーブのその炎を見ていると、いつまでも飽きることがないのであります。
癒されるというか、不思議な世界なのであります。
断捨離



「どうして、歯の治療をなさらなかったのですか」

最近では歯科医といえども、初日にはカウンセリングといのがあって、これまでの歯の来歴について話さなければいけない。

「いやぁ、この仕事はですねぇ、、、」

「40年ほど前はそれなりの徒弟制度が残っていた頃で、修行中”歯の治療”に通うなんて想像もできない時代で・・」

その女性は楽しそうに話を聞いてくれるので、チョッと話が滑り出した・・・

「京都で修行中なんですが、ある女医さんでしたがぼくの歯を観るや二階にいる娘を呼ぶんです、、、」

「〇〇ちゃん、ほら見においでこれが終戦直後の歯よ」
そりゃ、ぼくもその当時はまだ若かったし、、、 

それがトラウマになって、とか何とか言いながら、愈々ぼくの歯がその歯科でサラシモノになるのであった。

写真を撮られ、自分の歯をみるとそれはまるで吸血鬼かタスマニアとかにいる、何とかの動物そのもので、不快感が襲ってくる。

ああ、来るんじゃなかった、とも言えず、その折れた歯を抜いてもらわなければいけない。

すると、

「この歯は折れてますが、根はしっかりしてますから、、、」

なんとなく期待を持たせるのである。


「奥の歯も確かにまったくありませんが、土台はシッカリしていますから、たとえば、、”エンプラント”でも、、、」

おいおい、オレは超のつく貧乏人なんだけど、とその歯のところまで出かかったけれど、、、


『断捨離(だんしゃり)とは、不要なモノなどの数を減らし、生活や人生に調和をもたらそう とする生活術や処世術のこと。 捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え方、生き方、処世術、基本的にはヨガの行法』 とある。

断捨離よか、壇蜜のほうに執着がある、まだまだ、解放されないのだ。

写真: 唐子文碗 猪口

あたりきのこと。



『あんた、流行らないわよ』

そう言えば昔、近くの陶芸家女史に言われたなぁ==


昨夜のこと、キシリトールガムを噛もうとグィっとやったところ、『バキッ』と、歯が折れた。

これで右も左も噛むことが出来なくなって、今朝はその歯医者探しとなった。


あと、十年、持つかしらね^^;

キシリトールは虫歯には効かない。
トニモカクニモ、、、


XPのサポートが終わるらしい。

まぁ、そういえば最近パソコンの動きも悪いような気がする。


今日は、久しぶりに電気屋をのぞいて見ると、新しいOSが並んでいる。

良いんだよね、パソコンだけだったら、、、

付随したソフトを買うとなると、、、、


世の中の方々は金持ちだなぁ~~~ト思うのは、おいらだけなのかしら。。。

はぁ〜〜〜歯が痛い^^;
焼き物の学校



愛知県瀬戸市に焼き物を教える学校がある。

国か県の補助金で成り立っている学校で、授業料 は無料。

成形とデザイン科があり、期間は一年。

失業保険があれば、その一年間失業保険が適用される。


娘がデザインの仕事に就きたい、ということで会社に入ったものの、デザインの仕事は結構きつい。夜は忙しいと12時をこえる事もしばしば。

通勤に時間が掛かると体力が持たない、ということもあり、いっそ、焼き物を勉強しないか打診したことがある。

その学校も、今ではたいした競争率もなさそうだと思いきや、、、どうやら今でも人気があるらしく、狭き門が待ち受けているらしい。

そんな学校に、ぼくも願書を出したのが昨日のように思い出される。

昭和50年、1975年の冬。

あれから、40年ほど経った。

90人の同窓生のうち、果して何人が陶芸に就いているのか、厳しい修行時代を思い出した。