.....お問い合わせ.....

メール cha-two@mail2.kagacable.ne.jp
<< April 2013 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
ナマズ焼き
 

雷が鳴り、霰が降る。

ナマズが焼けた。

並べてみると、鯛焼きのような。。。


..............................................

お問い合わせはこちらから ↓

連休
細君は絵師である。

実家は数百年続く陶家であって、その歴史の中では磁器も焼かれている。

彼女によると、藍九谷は 『息を殺した線』 で描かれていると言う。


彼女の修行した窯元では中国明代の焼き物が手本になっていて、その筆の先にはその時どきの気分が現われる、らしい。

もちろんそれは、どちらがいいか、ということではないし、どちらがうまいかということでもない。
ただその仕上がりは、上手(じょうて)である、と言える。


藍九谷という古典をまえにして、我が家なりの 『料理』 の仕方を考えてみた。

素材は同じでも、塩加減ひとつで三ツ星になるのか赤提灯になるのか、、、

1639年徳川幕府は南蛮(ポルトガル)船の入港を禁じた。鎖国である。
同時期、 藍古九谷は肥前、で焼かれた。今でいうトレンドだ。庶民には手の届かない器であった。

さて。。。

『土夢』 さんからのコメントを見ながら、その時代にトリップできたら、、

世間は連休だそうだ。ふぅ〜〜   行ってみたい(^^)
藍九谷折り紙文五寸皿


すっかり暖かくなってきました。

我が家に巣くうヤマトアシナガバチも今日は活発に動き回っている。

あ〜〜もう巣立ちかもね。

ぼくのほうは早くナマズを仕上げないと、次の仕事に移れず、、


ところで、昨日の続きです。

写真をアップしました。



この藍古九谷が焼かれた時代、つまり江戸の初期、1640年代に伊万里でやかれたのがこれ、藍古九谷なのですが。

この皿、二つの図柄であるものを表しているのです。
それがこの皿の見せ所、眼目とみたのであります。

当時、『抽象』という概念があったのか、今日お越しになった『土夢』さんと、、、


もちろん、それはぼくの独断と偏見、よそ様はそのように見えないようで。。。
この続きは いつか。


写真: 藍九谷折り紙手五寸
秘すれば、、、
一昨日はオークションの三点狙い、だったので、その一つが今日届いた。

『藍九谷折り紙文皿』 


さて、残念ながらそのすべてをお見せできません。

『秘すれば花』 って、言うじゃないですか。。。


それでも見たいと、明日 土夢 さんが、、、、

土夢 さんはこの地の古九谷の研究家、さて楽しみです。


本日も、写真スルーします。
(どうしてもいいのが撮れなくて、、、)
男のロマン

『やっぱり、千年前の器となると、、、』

御坊さんは仰るのであります。

昨日のことです。知り合いの御坊さんがお見えだったので、ぼくのコレクションをおみせしているとろでした。

『幾らする?』

『安いモンです』 ぼく。

『もう、手に入らんかなぁー』


『大丈夫でしょう、チョッと見てみましょ』


器はペルシャ12世紀頃の作。
『産地はイラン東部ニシャプールから中央アジア、トランスオクシアナ地方』とか、、

『う〜ん、絵はベンシャーンじゃなくう、、、、』
『うん、シャガール』

『欲しいなぁ、これ頼むわ』

サザビーズに客から依頼された気分で夜を待つ。

さて、その落札終了時間が迫った頃。。。。

『あの、上にあった、あれ手にはいらんやろか』携帯から電話が入ってきた。
どうやら蒐集の虫に火がついたようで、、、、


あれ、とはタイ・アユタヤ王朝期テラコッタ人物頭部、、、もちろん本物。(のつもり・・)

『じゃ、勝負しますよ』


別に、手数料をいただいているわけではないけれど、、、これも結構疲れる。
彼の家にはパソコンもあり、、、息子はその道のプロみたいなものなのだが、、、
それをぼくに頼む。

男は歳を経るうちに蒐集癖にはまり、例のお宝鑑定に見入るのだ。
もちろんそんなことは細君とて知らず・・・・

『OK,両方落としたから、、、』


800年ほど前の器に、アユタヤ時代(タイ14〜18c)の人物肖形、、、

男のロマンに花咲くのでありました。
さて、そんなことが細君に知れたら、、、女の不満が爆発するのであります。

きょうは、写真割愛します。

花に嵐のたとえもあるぞ
 

(主題変えました)

最近のオークションええもんないなぁ〜〜

と思っているところへ、、、

近在の御坊さんがおいでになり焼き物談義に花が咲くのでありました。


写真の器は尺に及ぶ大皿、染付けでドクダミが描かれています。

『直らんかなぁ〜〜』 ということでお預かりしたものです。


昔からこの手のものは漆(天然樹脂)で接着し『コクソ』という漆と小麦粉か粘土のようなものを混ぜたものの上から、金や銀を装飾して仕上げるのですが、写真の器は、ど素人がやったものらしく。。

皿も、こうなっても飾ってもらえるってありがたいことです。
『どうするの・・』 ぼく。
『いや、箱に入れて、、、』 彼。

『壁に掛けたら、、、』 ぼく。

さてどうなりますやら、この皿、裏に銘がありましたので写真にてご紹介。


作者: 井伏鱒二 染付ドクダミ図皿


お亡くなりになっても、人生に花が咲いているようで・・・

二輪草

(二輪草)

春なんですが、数日前には霰が降り・・・

どうなってるやら、、、

きょうはスノー外します。




 
作者の意図
『陽刻藍古九谷皿』という器が届いた。

その皿が届いて数日、、、

ぼくはある種の推論をたてた。


実はネットで売られている藍九谷は決して安価ではない。
『時代:江戸 本物保障』などと実に勇ましい(^^)

ご存知の方もいらっしゃるだろうが、贋物は売るほうも買う方も罰せられる。


陽刻藍古九谷皿は100パーセント 『型打ち』 である。
届いた器を見ながら ぼくだったらどう仕上げるだろうか、と悩んだ。

いや、こんな仕上げ方をするだろうか、と・・・


ここ加賀市は大聖寺伊万里が明治から大正期に製作されたところだ。

ぼくが時どきお邪魔する職人さんは代々その大聖寺伊万里を作っていた窯元で、
ロクロ場の上には当時の型が置かれていると言う。その大聖寺伊万里も打ち込みの技法なのだ。
(仮にぼくが美術館の関係者だったら、その型と実物を陳列して展観する企画を考えるのだが)

ま、それはいい、


その仕上がりを見ながら、、、、型打ちは版画のようなものかもしれない、と。

版画で使う元型は時代のものだ。
しかし、磨り師が代われば、絵の具が変れば、紙が変れば、、、仕上がりも変る。もちろん刷りを重ねれば切れは鈍くなる。

いや、刷り師が代わっても、当時の絵の具を使い、当時の紙を用い、仕上げを吟味し刷り上げるとしたら。。。

さて、そんな版画は贋物なのかどうか、、、、

その藍古九谷、版画と似ているなぁ〜  ふと。
明代の皿
 

皿には額縁に相当する部分がある。

そんな意味では、皿は絵画性を取り入れることの出来る器です。

そのため、洋皿のなかには高台に紐が通る穴があいたものがある。


この皿、明代の皿って謳い文句で買ったけれど、実は本当のところは分からない。

額縁に相当するところに打ち込みの後が見て取れる。


我が家では更紗文七寸皿の原型としてご活躍している。

下、写真 (古染付更紗文七寸皿 本歌です。若干の説明をすると、この皿は打ち込みの手法を使っていません。昔のものは誰がどれだけ作ったかわからないわけで、本歌と言っても玉石混交、様々なのです。ですから、もちろん明代だって贋物や写しがあったわけで、同じ時代のものならば、良いものと出会いたいですね。) 


村の宝物になるか?
 


ぼくの住むこの村に一本の川がある。





この川にはヤマメや岩魚が棲む。つまり、清流。





川底は言うところの滑底で、そのほとんどが『陶石』と思われる。

科学的な分析はしていないが細かくすると粘りがある。

そして、簡単な調合で天竜寺青磁の黄みを帯びた釉薬ができる。

陽刻は白磁は勿論青磁にも適している。

 
ところで、この6月、金澤で4人展を予定しているが、その前に一仕事・・

この村の里山プロジェクトでまずはその青磁の出来具合を発表をしなければいけない。


名品は期待してないけど、それなりのものができるようその微調整につかう鉱物が頭の中でクルクルと。

村での発表を前にこのブログで公開できると、いいなぁ〜

(します!!)と言えない(言わない)ところが複雑なところです(^^);