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陶芸も漆芸も
ぼくが焼き物をやりはじめた頃、商工会議所の職員がやってきた。
『漆器産業の衰退について』意見を聞きたいという。

ぼくは焼き物の学校について話したことがあった。

焼き物の学校はそれこそ全国から人がやってきて、年齢性別を問わず、一年の研修期間、失業保険を頂きながら勉強できるという、実に今様な学校であった。

大切なことは、この学校を出ても必ずしも陶芸家になるとは限らず、ある人は焼き物を売る商人になり、ある人は家庭に入り器の使い方、選び方を学び、多くの人が焼き物についての広い認識を得ることが出来る、というようなことを話した。

つまり、作る人だけではなく、買う人、使う人が自然に生み出されるということが大切だと。


地元の産地の子女だけが優先的にはいれるような学校をつくっても、広い意味での発展はありえない、とおもったからだが・・・

はたして、漆器の扱い方を料理人も分からない時代になったそうだ。

日本の三大工芸地といえば東京、京都、石川、

そのひとつになるこの石川に漆芸を学ぶ学校がある。
ハイレベルで、選りすぐられた特定の人に解放されている。

言ちゃなんだけど、、、それじゃ、誰が使うのさ・・・



さて、十畳ほどのブースがあるので 『そこで12月に、、、』 というような話があり日曜日に現場を見に行くことになった。

そこは本来漆器屋さんで、、、ぼくのが少なければ、漆器と一緒に並べるだけ(^^)

家具・インテリアの『〇〇』

決まれば、アップします。

なが〜いお取引だから、ま、なんとかね・・・


今日の一曲は、以前ショパンのCDを頂いて、、、車で聞いている一曲です。


焼き物一座
この石川県の工芸や食品を紹介する物産展があった。各地のデパートでそれが開かれていて、 そのブースのなかで焼き物のロクロ実演というのを『やってみないか』という誘いがあり、軽いノリでその一座に加わったことがある。

ぼくが行ったのは東では水戸、静岡、それからどこか忘れたが、西では鹿児島、、、一週間いくと十万の『出演料』がもらえた。

まだその頃は若かったので、その土地の酒や肴、お料理を食べるのが楽しみでそれはまるで旅芸人のようなものだった。

そんなある会場で、陶芸の学校で一緒だったK君とバッタリ出会う。彼は焼き物をつくるのではなく、売る方の仕事をしているという。結構仲良しで、夢や希望を語り合った頃を思い出しながら、ほんとうは『つくる』仕事をしたいんだろうなぁ と、あの学校のその後を知りたくなった。

成形科が二クラス、デザイン科が一クラスあわせて90人の老若男女が全国からその学校、愛知県窯業訓練校に集まっていた。時は魯山人というのが流行で、『ロサンジンってなに?』ってのはぼくくらいだったかもしれない。

あれからおおよそ三十数年、どれだけの同窓生が焼き物とかかわっているのだろうか。おそらく片手は確認できる。でもどれだけ多くてもあの90人の一割もいないだろう。

思えば並みの修行時代ではなかった。有名になったのはいただろうか、、、

娘に、『焼き物やらんか』と、訊いてみた。

『やらん!!』 

一代限りの二人芝居で終わりそうだ。その興行も、富山のお取引先から『フジサワサン、この12月おねがいできないでしょうか・・・』 さて、どうすりゃいいのさ(^^);

その返事を明日することになっている。ブログをとるのか興行をとるのか、それがモンダイダ。


今日の一曲はぼくのすきな 『良子』 ちゃんで


 
理想の生き方


ぼくの少年時代は空想と退屈の日々だった。
早く学校を出て”社会”というものにとけ込むことが唯一の願いだった。 
なぜなら、ぼくは周りから奇人・変人と思われ、何よりも勉強というのが嫌いだったから
それにB型。


そんなぼくが貿易会社に入社することになる。
暮れ、その会社の営業所でアルバイトすることになった。

所長ほか、数十人の小さな会社で調べてみると今でも潰れないで現存している。
あるとき、『フジサワ君、これやっといて』と、その会社の倉庫で荷造りを命じられた。
『30分ほど出かける』という。

ぼくは辺りを見回し、自分ひとりであること、この仕事を仕上げるのにどれだけの時間が掛かるか目算してみた。そして、、、

その所長が帰ってきた時、ぼくはその荷造用の荒縄に座って彼の帰りを待っていた。この一件でぼくは東京の本社勤務となった。


建築の現場で働いたことがある。職人と組んでひとつの現場を担うのだが、職人が『チョッと用事がある』というので、その職人が帰ってくるまでに蝶のように舞い、そこの仕事を仕上げた。翌日、彼は親方にぼくの給料を上げるよう具申した。

人生がこのまますんなり運べばぼくもこんな生活はしていないが、そこが人生のおもしろいところだ。


ぼくはあるとき、新聞配達をすることになる。それは東京の世田谷で起伏の激しい住宅地だった。数百件の家を一日で覚えると、自転車を漕ぎ、はしりに走った。ぼくはテニスで左足を痛めている。その痛めている足を引きずりながらはしりに走る。

そんな姿を、又見ている人が居るのだ。『感動した』、と購読数が増える。いやほんとは迷惑な話なのだが”同情と感動”は人の心を動かすのだ。

それでもめげずに配達をしていると、『可哀想だ』という抗議の電話が集配所に入る。しかたなく、所長が一緒に配達する始末となった。これで済めば良いのだが、人には”欲”というものが心に棲む。

そりゃぁ、限度ってものがある、ぼくの堪忍袋の緒が切れる。なんたって、『奇人・変人』で慣らしたこの身体、それに何度もいうがB型。 『ざけんじゃねぇ』


自分の人生を自分の好きな時空感覚で過ごしてみたいなぁ〜
沖縄に行って、焼き物と出会う。

有名でなくったっていい、好きなように、泳ぐように、ゆっくりと生きてみたい。あ、そう言えば今日は背泳ぎだけで500、クロールを数百、潜ってひっくり返ってイルカのようにして帰ってきた。


理想の生き方だ、お金さえあれば、ね(^^)
ナマズ
 

この春、京都で神奈川県在の書家・沙於里さんと二人展があった。

昨年の暮れからどんなものを出すか、二人でいろいろ考えた末、『ナマズ』を物語に参加させることになった。

その構成がよかったのかどうか、その時作ったナマズがいまだにぼくのブログのキーワード上位にある。

ナマズの向付けをつくっているのは陶業地では結構あって、それほど人気のある器だと分かる。

玉石混交、それはピンからキリまであって、参考にする器に出会うまで紆余曲折を経た。
古典を写す場合、本歌が身近にあるかどうかで出来上がりが決定する。

ナマズの向付けというのは明代古染付が本歌になる。その明代のいつ、どこで、極端に言うと誰によって作られたかによっても又、作風が違う。

いいものを見なければとんでもない古典の写しになってしまう。またそれを見分ける目も必要だと思う。

魯山人のナマズは有名だが、彼がどのナマズを基に自分のナマズを仕上げたのか、

ある日、ぼくのところにその魯山人のナマズが届いた。表だけではなく裏にもレリーフが施され今までのものと違った気分を感じる。だが、その魯山人の作品にもいろんなタイプのナマズがあるようで、彼の見たナマズがどれだけあったのか興味は尽きない。

ブログのキーワードを見ながら、本歌というものを見たい、と思った。誰もがそう思いながらぼくのブログを捲るのかもしれない。

写真 facebook で使っている写真。
秋ですね♪


苔というと、だれでも 『あ〜あれね』 と理解できます。

でも こちら加賀では 『コケ』というと キノコのことです。

『今朝は何度だったね?』 村のお年寄りが訊く。

15度を切ると『コケ』が出るそうだ。このとき採れる『コケ』は”芝タケ”という。そしてもう少し経つと『霜オコシ』という『黄シメジ』がでる。もう何年もそんな生活とも縁がなくなったが・・

さて、わたしの庭に生えるこれ、、、コケでしょうかそれとも 『苔』でしょうか。


二階のスズメバチが大スズメバチに襲われ、その仔細をつぶさに観察しました。

襲われた蜂は大スズメバチに首を噛まれ、レスリングの背中をとられるようにしてどこかへはこばれて、、、

あ〜自然界は厳し〜〜〜

もうすっかり秋です。

明日は出来れば焼き物をアップしたいです。
ラン・カメラの功罪


『ラン・カメラ』というものが数年前から普及しはじめました。 それは一見『スカイプ』で使われるカメラのようですが、スカイプは加入した者同士の通話と動画の共用でしかありません。しかし『ラン・カメラ』は世界中の誰でもそのアドレスさえ分かれば(もちろんID、パスワードの設定も可能)ライブでみることができるものでした。(音声ももちろんです、ライブのホームページと思ってください)

そこが『ラン・カメラ』の特徴のひとつなのですが、この『ラン・カメラ』をパソコンのディバイスとして設定していたことがあります。

『お〜〜これこれ!!』 ある日のことです。ジェトロの職員とその関係者がうちに来たことがあって、これからの時代は動画を見ながらオンラインのお取引がこうやってできる、と解説しはじめたのでした。

ところで本当にこのような『ライブ』機能をつけたオンラインシステムがご商売に発展的に機能するでしょうか。

実は、、、、

『お茶碗がほしいのですが。。。』  ギャラリーさんから電話です。

『今、パソコン見ていただけますか』 もちろんわたしが電話で告知します。
(あらゆる角度から茶碗をお見せしている状態です)

『・・・・・・・』 どうも現物が自分のイメージと違うらしいのです。


発送するまでもなく、『アウト』 でした。

やっぱり、ひとはなんでも 『見ちゃったら アウトなんですね』

そんなことが何度となく続き、ランカメラはいまやパソコンから外されたままです。

いつか、それが役に立つ 『時代』 が来るかもしれませんがオンラインでのご商売の難しさをいやと言うほど。。。


今日の一客は何年か前に使った画像です。『色絵菊文五寸皿』
裏をお見せしないのは、、、あまり深読みしないでください(^^);
網もいろいろ
 

さて、今日の一客 網目文小鉢 散蓮華とその皿

網目は古くから吉祥文として使われてきた、と聞いております。

『福』 を掬い取る、とか

また、網目の茶碗でご飯を食べると 『中気』 にならないとか。。

いずれにせよ、わが国では縄文の昔からある文様のひとつなのです。


この器は一見すると同じ網目なのですが、ご覧の通り、下の二つは菊の文様に似せて菊花とも網とも読み取れるように描かれているのです。

上の鉢は梵鐘(ぼんしょう)・乳房を同定している可能性はあります。もちろん想像の域を出るものではありません。また、それ以外にいろんな解釈があると、、

この辺りがアートとアルチザン(工芸)の違いです。

器である限り、それはなんらかの用途があり設定されるわけですから、『器』 もひとつの舞台装置かもしれませんね。
季節の変わり目
 

ご依頼いただいた器を作りながら、この季節、乾燥がうまくいかず、、、

特にこちらは山の中ですから、湿度が高い。

つまり、なかなか素焼きまでの道のりが遠いわけで、、、

それ程寒いわけではないけれど、ストーブに火が入ります。


『おーい、持ってきたぞ』と、例のAさんからこんどは『コウゾ』の木を頂きました。

この薪になる木の上のほうにあるのが『コウゾ』で、その下、土台に当たるのが栗です。


栗は 『薪や』 さんでは売っていません。

燃やすと 爆ぜる からです。


わたしたちがストーブで使う木は様々です。

なんだって燃やします。


こないだ伐った イチョウ は燃やすとギンナンの臭いがするそうです。

ナラの木はあのフランスパンの甘酸っぱい香りがします。

桜は、特に山桜はあの桜餅そっくりです。

『コウゾ』ってどんな香りなのか、この冬の楽しみです。


ところで、先日このブログでご紹介した ラプサンスーチョン は松で燻されて作られたものだそうです。

この『無茶空茶』の黄さんのお話では 中国は主に硬水だそうでそのままの状態ではこちらで頂くには苦味が強すぎるとか、、、

木はいろんなところで役に立ってくれますが、燃やしてしまうとそこには灰しか残りません。でもそんな灰も焼き物の釉薬にすると、それぞれの木の特徴のある釉薬になるから本当に不思議です。


背中の方で 『パチ パチ』と音がします。
栗の薪が燃えている音です。
菊の花


重陽の節句って9月のことらし〜

でも本当の菊の季節はこれから

『中国茶で楽しむ十二か月』 黄 安希 別冊太陽
によると、、、(引用します)

『9月9日は、陽数つまり奇数の最大数である九が重なる日です。菊の花がこの季節に香ります。

「重陽」と呼ばれるこの日は、見晴らしのよい高い場所に登り、香気のつよい植物である(かわはじかみ)を髪にさして邪気をはらい、菊花を浮かべた酒を飲んで、延命長寿をいのる「登高」という習俗がありました。』

ここまで読むと、なんだか棲む世界がおいらと違うようで、、、

『夏が過ぎ、秋の涼気のなかで人里を見下ろしていると、澄んだ思いにも、ふと郷愁が入りまじります。』

生まれ変わったら焼き物をやめて、こんな人生をやってみたい、、、

ま、簡単に言うとそんな季節だと言うことで・・・

おいらも写真を撮ってみた。

題 『菊の節句』  そんなところかな、、、

ところで、この 黄 安希 さんのお茶屋さんで何度かお茶を頂いたことがある。
大阪中ノ島にあるこのお店はその筋では名のしれた中国茶店 『無茶空茶

それ程詳しくはないが、おいらの好きなお茶は『ラプサンスーチョン』 紅茶の始祖にあたるとか、、、

因みに、おいらのブログのアドレスはここから頂いた。

『ラプサン』といいます、よろしく(^^)
染付菊文七寸皿


毎日のように大スズメバチと黄色スズメバチの攻防が続きます。

さて、どちらが勝つのやら。。。

その写真は下 ↓


今日の一客

染付菊文七寸皿、

器はデルフト風のボディに古伊万里の気分です。

その写真は上 ↑