吸坂焼き(3)
2012.08.31 Friday
『そろそろ独立したいんですが・・』
この加賀市の修行先でぼくはこの日がいつか来ることを願いながら修行の日々を送っていた。
当時はまだ ”徒弟制度”の名目が社会的に通用する時代で、先輩、後輩の位置づけがはっきりしていて、初めに修行した京都の陶房では18歳の”ガキ”にこき使われる時代だった。(わたし28歳)
だから、”独立”するということはこの世界ではスペシャルなことであった、そしてそれが時代の”トレンド”でもあった。
ところで、ぼくはこの加賀市が本籍地で、ご先祖さんの墓もこの大聖寺にある。そんなこともあって、この地で焼き物を始めることにした、つまり動機はいたって単純なのである。
たまたま見つけた家がこの吸坂の入り口にあって、家賃がとんでもなく安かったのでここを仕事場にすることになる。後に、それがとんでもないことに繋がるとはよそ者のおいらには知る由もなかったが。
つづく
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窯跡のあちこちにころがっている窯壁、当時はレンガではなく、『クレ』という粘土を木枠で固めてだけの耐火物を使用した。
ゆっくりと斜めに登る窯の跡。
人の手が入っているのか、この場所だか雑草が生えていない。昔の窯跡の特徴がよく出ているように思う。土中に粘土質の層があると、湿気が抜けにくく食虫植物などの特殊な植生がみられることがある。
この茗荷の林を進むとそこに大きな穴がある。蛇足だが今茗荷の旬。
粘土を採った跡、30年前はもう少し窯跡らしい雰囲気でしたが。。。
吸い坂の『集会場』の裏に当たります。
磁器や陶器、瓦や焼き〆の壷の欠片と思われる陶片がそのあたりに散らばっていました。
しかし、それがその時代のものかどうか判断できないこともあり、拾ってくるのは止めました。
ここに立つと、『兵者どもが。。。』という気分がよく伝わってきます。
江戸時代、わたしたちの知らない人生と営みがここにあったのですね。
わたしたちはそれを想像し、仮説を立てていく楽しみがあります。
でも残念なことに窯は壊されて、もうタイムカプセルは開かれた後でした。