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湯呑み

今は『お父さん湯呑み』をどう仕上げるか・・・

あれやこれやで・・・結局ぼくの作った貴重な素地が。。。

即興でやられると・・・スカッといきましょうか(^^)


焼き物・三種の神器

焼き物の三種の神器

湯呑み・コーヒーカップ・ そして飯碗

その飯碗の中でも・・これ

麦藁手

じつは時間と手間が掛かります

それでいて誰でも作ってます

すみ分けがナカナカ難しい


ロクロで仕上げた焼き物を載せる台

墨で字を書いたわけではありません

土のアクで出来た文様

京都宇治にあった醍醐寺の天井を思い出しながら・・・
市松文
 
何処にでもある伝統的な様式

染付でということでしたが・・・

難しいです。

と言うわけで、、、とりあえず先に進めなくってはいけない訳で・・・

期限の決まったものの制作は困ったもんです。

今日はぼくのブレーンになるお茶の先生のところへ・・・

『どうしましょう〜』と、、、

『そうね、赤と青と二つでセットにするのは・・』

『並べ方も、市松にする』

『季節はちょうどいいわよ、お節句だし』

そんな訳で、、、今日も頭の痛いブログネタなのです。

どうぞ、ご勘弁を(^^;
ナントカ、アップ

朝は雷、それから・・アラレが降る。

市松文様のあれこれは、今日もまだまだ決定打が打てないノダ。

このところ、天候不良体調不良、、、頭脳の回転不良。

 
アップしました♪
 

創るということ

器は初期伊万里秋草文盃、かなり初期伊万里では代表的な図柄です。さて、下の写真、やはり初期伊万里紅皿、と鎬手の初期伊万里白磁盃。

器の持つ魅力は実際手にしてみないとわかりませんが・・・古陶の放つ存在感は一度手にしてしまうと、その世界に嵌るという欠点?もあるようです。 = 陶酔っていいますしね(^^;


古典を写すという仕事をしていると、その器をナカナカ手放すことが出来なくなる、預かったりすると。じつはわたしたちは蒐集家ではないので、その器の細かな、見込みの僅かな曲線、厚み、重さ、立ち上がり、口元のカーブ、その口元に残った爪あと、高台の僅かな角度、幅、面取りやハマ砂の有無、さて、そんなことが、即座にわかるわけではなく、写しているうちにだんだんと『見えてくる』というのが正しいのです。

つまり、人様から古陶を借りたしすると、、、なかかな『返せない』というジレンマに陥る。この下にある初期伊万里鎬手盃もじつは、、、お借りしたものです。

 

ところで、最近気付いたことがあります。今挙げた古陶は日本のものですが、明代の古染付などの場合と比べてみると、初期伊万里などの場合、その発見の『深度』が浅いような気がする。古染付の場合は翌日みてみると、また、あたらしい発見があったりして。。。

沢山の骨董品をみながら、古人は皿なら皿を、盃なら盃を・・・それだけを一生作り続けたのだろうと考えます。今のわたしたちは、今日は盃、明日はご飯茶碗、そして、、、、皿やトックリや、、、なんだって一人で出来るように教わってきました。

先日、ぼくの細君が実家の売り出しに帰省しましたが、ちかくに『盃美術館』があります。それは昔、その地方では町中、盃だけが作られていたことを表した記念館なのです。この4月15日のぼくのブログ、写真の手回しロクロはその盃を作った昔のロクロです。よく見てみると、ロクロの板の厚みが薄いことに気付く筈です。大物を作る産地では、そのロクロも厚く丈夫に出来ている筈なのです。

一人の職人が一生作り続けた焼き物を、、、、あれもこれも作り続けるわれわれが勝ちとる要素があるとすれば、『感動』 を持っているかどうか、だけです。到底、技術で追いつくことは出来ません。
仕事 live

ロクロの仕事





絵付けの仕事


二輪草



 
裸の付き合い

『今日はもう泳がないんですか』ぼくが更衣室で声を掛ける。『はい、今日はチョッと集まりがあって・・』とその若い男が答える。小さなプールでさえ、様々な人生模様がある。

その男の泳ぎは身体を前方に向けた力強い泳ぎだ。泳がないときは夜間ランニングしている。トライアスロンの選手と聞く。

彼とぼくは、かれこれ10年ほど前からの知り合いである。それはぼくがこの泳ぎを始めた頃から知っている、という意味で、、

ところで、そんな長い知り合いなのにも拘らず・・・声をかけたのは、今日がはじめてなのである。どちらとも、更衣室で顔をあわせながら、、、お互いに、、、特に、、、意識しながら、、、不思議な関係であった。いい青年だと思う。が、声を掛けることがなかった。

今日は、ぼくがその一歩を踏み出すことにした。10年間の何かが吹っ切れたように想う。『またね』プールで知り合った人々は沢山いる、だが、その殆どの人々の氏名も住まいも、仕事も年齢も知ることはない。一緒に飲んだことも・・・あ〜、あのバタフライのステキな人魚姫さんとだけは誘い合って飲んだっけ。最近時間が合わなくって、、、でも、ブールの人々はブールだけでいいように想う。なんだって、シガラミの無い裸のお付き合いだから(^^)

Carole King- You've Got A Friend live

詞はこちら 


ご飯茶碗


昨夜から体調が悪い、どうしてかなぁ〜と考えていると・・・
どうも泳ぎ過ぎが原因のよう。

もう、背泳ぎしか出来ないけれど、これも長距離を泳ぐとなるとターンも覚えなくてはいけない。倶楽部にいたとき背泳ぎの上手いコーチがいて・・


『きょうはターンをやってみましょう』と教えてもらったのが、背泳ぎのタッチターン。プールの側面に背泳ぎの姿勢から手をつけながら身体を反らせてそのまま水の中に沈みこむ。これがナカナカ難しい。

その25mの折り返し、クイックとは逆に背中から沈み込み鼻から空気を出しながら壁を蹴り浮かび上がる。その空気の玉がキラキラと光に輝く。そんなことをしていると・・・仕事も忘れる。だから、今日はいっぱい仕事ができた。

この器、本焼の後、色絵に仕上がる予定、縁もとの折り返しをどのようにするか、五里霧中。『ご飯茶碗ください』とギャラリーさんに言われると・・どうやら試されているようで緊張する(^^;

古染付更紗文七寸皿

随分前のことですが、ぼくの工房に、とあるギャラリーさんがいらっしゃいました。骨董が好きで、相当蒐集しておいでのようでした。ぼくにその中からこのようなものが欲しい、と仰る。その殆どが中国明代の古染付、初期伊万里でした。

まず創るにあたり、自分で使って欲しい、といわれ、預かったもののひとつが上の写真、『古染付更紗文七寸皿』

よく見ると、口元が欠けております。これをその筋では『虫食い』といい、古染付の特徴のひとつ、また見どころのひとつなのです。ですから後年、古染付を写した作品はこの『虫食い』をわざとつくったものがあります。

オークションの作品を観てますと、意図的に作られたそれらの『虫食い』が不自然に見受けられます。でも。。。殆どの場合、写真ではその真贋を見分けることは出来ないでしょう。一度、ホンモノを見ていれば別かも知れませんが・・・



このようなことがあって、古典を作る際は写真では全くお呼びでないことが判明し・・・つまり、立体を写すには写真では全く用をなさないことがわかり、『本歌』を手に入れることにしたのでした。もちろん、欠損したもので充分でしたから、安く仕入れたものです。

下の白磁は『染付更紗文七寸皿』を作るのに、形がよく似ていたので5客セットで買ったものです。もちろん骨董です。でも・・・これは自分で粗相したものです。。。(^^;

最近ロクロの調子がよくなったので、大変仕事の調子が良いのです。もうすっかりご機嫌で。。。。今日はこの更紗をロクロ引きするために、寸法をとっているところです。前にも書きましたが水引した器は縁から乾くので、つまり、縁が持ち上がるのです。それを計算してロクロ引きするので、、、おおよその割り計算をしてから『トンボ』を作ります。(竹で出来たものがそれです)

只、この形はゆっくり乾かして・・・口元が持ち上がってきてから、またロクロにかけて矯正し最後の仕上げをします。(ヨソ様はどうしているのか、、ぼくは知りません。つまり、ま、ぼくはその辺りが下手なものですから。。。)

この『更紗文七寸皿』を作るのは実に10年ぶりくらいでしょうか。さて、焼き上がりが楽しみです。だって、『矯正』した器が計算通り焼きあがるかどうか。。。。窯で焼くと、また縁は下がるのです。ワクワク

ちなみに、下の白磁七寸皿は器全体に文様が浮き彫りされています。これは一度ロクロで仕上がったものを、乾燥の段階でこのような『型』にはめ込んだものです。同一のものが大量に作れるという利点があります。古染付のなかで芙蓉手というのはこの技法でつくられています。こちら九谷では『打ち込み』といってます。この技法の要は・・乾燥の度合いが管理されていることでしょうか。