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すべての人の心に花を


みなさま、良いお年を、、、今年はこれでサヨウナラです。
来年もよろしく♪
染付市松文六角五寸皿

500m泳いできました。このところ忙しく泳ぎにもいけなかった。
さて、今年もあと一日、このブログを見ていただきありがとうございました。
来年も焼き物を中心に綴ってみたいと想います。

今日の一品 染付市松文六角五寸皿
 
色絵ペルシャ風鳥獣文五寸皿

来年の干支は兎ということで、今年の酉とムリムリ兎ということで・・ペルシャ風色絵鳥獣文五寸皿としました。皿は鳥獣=長寿にかけて、、、オメデタクなったようです。 折角ですから雪上の長寿ということで・・・


撮影に使った手回し轆轤は岐阜県多治見地方で使われた昔の手轆轤です。この地方は昔、専ら『盃』を生産しておりました。ある程度焼き物をご存知の方なら分ると想いますが、轆轤の厚みは二分程度です。もう少し大物を作るところではこの轆轤の厚みもそれにあわせて作られるのです。 ちなみに、、、現在多治見市市之倉にはこの名残でしょうか『さかづき美術館』があります。
土もグローバル化

(雪の輪文三寸皿)

この器は以前古い焼き物を蒐集しているときに手に入れた古伊万里の皿を再現したものです。そのお皿はも少し小さなものでしたが、数百年という時代を感じさせないデザイン力とその感性に驚きます。

さて、先日わたしの古い弟弟子の一人から電話が入りました。『製土屋さんを教えて欲しい』らしいのです。彼は倉敷で焼き物を焼いております。窯は薪の窯です。窯も手作りだそうで、察するにその道は厳しいものがあったことでしょう。

『フジサワサン、これから磁器をやろうと思います』 と彼は申します。『ほぅ〜それで・・』 彼によると、『もう独りで窯を焚くだけの体力が続かない』、とのことです。いまの焼き物界を支えているのは、きっとわたしたちの時代、焼き物がトレンドだった頃この世界に飛び込んできた本来焼き物を家業としていない他分野に経験を生きた者たちなのです。

そして、これからは電気窯で焼き物をやろうと彼は考えて電話してきたのでした。たしかに、、薪で焼き物を焼くのは体力的にも経済的にもたいへんでしょうが、電気で磁器を焼くには個人の窯では最適かも知れません。

『ところで、、フジサワサン、その製土屋さんの歳って幾つ??』 愈々厳しくなったなぁ〜この仕事も(^^); そのうち中国やベトナムの土が安く手に入るようなことになって、日本で景徳鎮の焼き物や、安南の良いのが作れたりして、、レア・アースどころか、焼き物の土も禁輸になったりして、、そんなことを考えさせるこの年の瀬でした。
忘れようにも・・
さて、今年もあと僅かとなってきました。今日は私の作品を掲載できなかったので、わたしの病気のお話を少し・・

どんな病気でもそうですが、再発を繰り返す病気があります。たとえばわたしは数年前『重症急性膵炎』という病気で入院しました。死亡率三割という病気です。そして、治癒して三年のうちに再発する可能性は3割りにもなる怖い病気です。つまり、治った七割の人の三割がまた同じ病になるというのです。

膵臓の値を示すアミラーゼの正常値が70っ位らしいのですが、先日通っているドクターに聞きましたら、これが1、000を越えると『生きるか死ぬか』の状態だそうです。わたしの入院時のあたいは6、000でした。ドクターはそのときかなり焦っていたようです。『この病気は予後が悪い』 『単位が違うよ』『酒は呑むんですか』 よく分からなかったのですが、もう死んでいても不思議ではなかったのです。

生きてこんなブログを書いているなんて、きっと神様のおかげです。わたしの腕には太い注射針が打ち込まれました。中心静脈というところに栄養を送るカテーテルを差し込むためでした。その後はもう・・・お花畑と幻覚症状。

でも・・・あの時、中心静脈に針を刺しているとき、細君はドクターに聞いていました。『せんせ〜 何時働けますか〇×〇×』 『奥さん、もう出て行ってください、!!』 人は覚えて無くっても良いことは覚えているものです。この話をすると、、細君はオコリマス。絶飲・絶食の45日を過ごして、まだ生きております、ハイ♪4年前のはなしです。

雪の日

子供の頃、大阪でも雪が降りました。雪ダルマなんかつくったりして、、、でも最近では、暖冬で大阪で雪が降ることは少なくなったと聞きますが・・・

九谷焼のあの絢爛豪華な色使いはこんな風土が生んだとも言われております。たしかに、この地方の人々は総じて我慢強く、勤勉であるようです。例外もあります、、、すぐキレ、怠け者です、わたしのことです(^^):

さて、北陸じゃ、こんな雪は序の口です。でも、庭の雑草やゴミが隠れて、、、
いいこともありますが、、、今日のような水気の多い雪は困ることがあるのです。
災害を誘発することもあるからです。

余りの重さに耐えかねて、杉が折れ、倒れてきました。
一度屋根にバウンドして、この通りです。

もちろん、道は除雪しなければ車は通れません(^^);
そんな北陸の古民家で雪降ろしの体験したい方、、、いつでもどうぞ(^^)

クゥ〜〜===シビレル!!









 

額縁の中の空

(染付唐子図盃)

わたしの21歳になる娘は焼き物の仕事なんて、、、とんでもない、と思っております。実は、、、わたしも同じ考えです。

わたしが若い頃、飯場暮らしを経験しました。それは広い畑の真ん中に大きな穴を掘る作業でした。もちろんはじめはまったくの平地です。まずそこにパイルが打ち込まれました。広さは20平米くらいでしょうか。大きな重機が怪獣のように土を掘り、土砂が運ばれていきます。

その飯場には十人ほどのぼくと同じくらいの若者が寝泊りしていました。休み時にはそれぞれの夢やそれまでのたいへんだった経験が楽しく、また深刻にに語られるのでした。ほんとうに真面目な青春時代だったのです。

その穴は、、、、垂直に掘り下げられておおよそ深さが20mくらいになったでしょうか、周りはパイルで囲まれており、鉄の梁が四方にシッカリとボルトで固定されていました。仕事は朝から夜まで、穴の中でその重機で掘れない部分を人力で掘り下げる作業でした。毎日、見えるのは額縁のように区切られた小さな青い空だけでした。

ある時、ドーンという車が衝突したような音がしました。それはパイルと梁を繫ぎとめている太いボルトが吹っ飛ぶ音です。穴を掘り進むと、不思議なことに翌日はその穴の底から土が競りあがってくるのです。

地上に上がるには一本のハシゴがありました。その一本のハシゴだけが、、、命の蜘蛛の糸だったのです。

ある時、そのボルトが一気に切れたとき、その十人の若者たちはいっせいにそのハシゴに駆け寄りました。山がきたのです。

さて、、、、ぼくは今でも覚えていますが、そのハシゴの二番手でした。前に登る男の長靴がぼくの頭や手に当たります。泥がぼくの顔を汚し口に入ります。どんなに焦っても、それ以上の速度では登れないのです。そして、やっと地上にたどり着いたとき、、、そのハシゴに乗り遅れたひとりの若者がもうひとつのハシゴにしがみついていたのです。そのハシゴは地上まで届かないほんの十段ほどの短いハシゴだったのです。

笑いとはなんでしょうか、その対極にあるのは恐怖です。わたしたちはその夜、寝るのも忘れ笑い転げました。ギターを買うために来た青年や、お金の無かった船乗り、、

ところで、何故そんな話をするのか、、、、今のわたしの仕事は、それらの仕事の経験の上に成り立っているのです。山に土を探しに行くとき、その土を掘るとき、山にある木を切るとき、みんなそれらの経験の上にこの仕事があるのです。わたしはそれを運命的に受け止めているのです。娘が、焼き物をやらない、というのはよく理解できます。

テレビや雑誌に載る陶芸家と呼ばれる多くの方々の表の姿は、わたしには陽の当たる世界にみえます。でも、もうもうひとつの世界は四角い額縁の底に蠢く裏の姿です。どちらが真実なのか、、、。。。。わたしも、そんな陶芸家の一人なのです。 

今日の一曲、

さらば青春 歌詞はこちら

染付安南手福字文湯呑み
 
(染付安南風福字文汲出し湯呑み)

天気予報によると、北陸はこれから雪になるそうです。

さて、今日は窯焚きです。

今日の一品  染付け安南手福字文汲出し湯呑み


この湯呑みは昔、漆器を扱っておいでのTさんの蒐めたもののひとつでした。南方系の焼き物がお好きだったようで、ベトナムやカンボジア、タイなどの素朴な焼き物をご紹介頂いた覚えがあります。

この器もそのひとつで、ある時、骨董の雑誌、『目の眼』 『ちいさな蕾』などでも紹介されたものです。残念ながら、その書物では見込みの写真はなかったように想います。今回、わたしのブログで公開できるのも、なにかのご縁です。
手で考え 足で思う
昨日はまじめにまとめてみましたが、、これがあまり真面目でもいかんのやろうなぁ〜ブログやし、、、では、今日はその続き。。。

『最近、神様が降りてこないのよ』とある雑誌で壇ふみさんが仲良しの阿川佐和子さんと対談された記事がありました。 つまり、、、『最近いいものが書けないのはある種のパワーが無くなったのよ』 と話されているのです。

メディテーションとは『瞑想』と訳すそうですが、ルドルフ.シュタイナーという神秘思想家によると、『人間には5感を越えた7つの感覚がある』といいます。この5感を越えた感覚は思考の訓練によってひきだすことが出来ると説いております。その訓練こそ瞑想なのです。

『手で考え、足で思う』これはそのシュタイナーの有名な言葉だそうですが、同時に陶芸家『河井寛次郎』の言葉でもあります。わたしが焼き物を始めたころ、京都のある『おばんざい屋』さんの壁にその『書』が掛かっておりました。なかなか力強いものでした。

ところで、、、わたしもやっとります『手で轆轤を引き、足でペダルを踏む』もちろん神様なんて降りてきません。降りてくるのは『カメさん』(カメ虫のこと)くらいです。弱っとります(^^)どなたかわかる方教えてください(^^):もちろん『瞑想』じゃなく『迷走』どすぅ〜、、、、

チョッと、やりすぎたでしょうか(^^; やっぱ頭使わんといかんのやろなぁ〜〜〜

高校生の頃、ラジオからいつも流れていた 今日の一曲  『 空に星があるように』

その道は長く 曲がりくねっている
焼き物について勉強するようになって、、、、『将来いいものを作りたいなぁ〜』とフツフツと湧き上がるものがありました、ぼくが二十代の頃です。

兵庫県の芦屋に当時、滴翠美術館(てきすいびじゅつかん)という茶道具を蒐めた美術館がありました。たまたま、ぼくの実家が近くだったので、この美術館の付属陶芸教室に数ヶ月通ったことがあります。

その教室には20台ほどの轆轤があって、陶芸好きな老若男女が粘土を捏ねておりました。が、ある時ふとなんだか不思議な感覚に陥りました。

焼きあがった器をみていると、、その素人の方々の器と、ぼくの作ったものに明らかな違いがありました。ぼくはプロを養成する学校を出てきたのです。  仮に、焼き上がった器に点数をつけると、、100点満点としてその素人さんの点数、50点以上。ぼくのは、、、よくみても、2点くらいかなぁ〜

この点数を金額に置き換えると、50点以上すなわち、5、000円超、 ぼくのは200円くらいでしょうか。。。。

『良いもの』とはなんだったのでしょう。その答えを見つけるためにおそらく十年は掛かったかも知れません。そして、その答えは実に単純で明快でした。

禅の世界では、肝心なことはその答えを導き出す過程だと聞いたことがあります。あのぼくの轆轤の前に坐ったひとりの老人がそのひとりの禅僧だったのかもしれません。大切なことは、、、プロとかアマとか、そんなことは全く関係がないということでしょうか。

ところで、、『いいもの』とはなにか。もちろんその答えは、、皆様がお考えになることです。そして、その過程をお楽しみください。
 
ただ、残念なことは、、、その答えが限りなく普遍的な定理だとしても、『いいもの』 ができるとは限らないのです。

今日の一曲
The Beatles - The Long and Winding Road - Subtitulado en Esp

歌詞はこちら