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白と黒

白と黒の組み合わせはファッションの流行だったみたいで・・重ね着の若者を見ながら、あの薄いヒート・ナントカの温かさを実感する今日この頃です。

おおよそ、水着以外買ったことのなかったわたしですから、(殆ど細君のあてがいぶち)流行にはドン、カンでありまする。

さて、このお皿、白磁と鉄釉でありまして、、、ま、正直苦肉の策。写真撮りのために作ったようなもの(^^:

下、先日焼きあがった擂り鉢のニュー・バージョン。中を渦巻き文にしました。自分で筆を持ってなんてはじめてのことで・・はは、ナントカなるようです(^^:

チョッとお習字の効果が出てきたのね、何て細君は言うのですが・・・オッと、その手にはのりません。わたしがやると、、、細君が怠ける(^^)


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吸坂色絵梅文輪花三寸皿

昨夜、『ド〜ン』と音が。イノシシでも突っ込んできたのか心配になり・・ともかく田舎の一軒家、原因をしらべに家の周りを一通り見て回り・・・色絵の窯焚きの日でした。


その時、焼いていたのがこの器。片身代わり『梅文三寸輪花皿』 久しぶりにブログにアップできました。


さて、『ド〜ン』と聞こえた爆発音。暫くして分りました(^^*色絵の窯に一緒にいれた俎板皿(素焼き)、これが乾燥が充分でなかったので。つまり、水蒸気爆発。ひどい時は窯の線も吹っ飛ぶこともあるこの爆発、油断したのかなぁ〜、久しぶりの大作(^^)だったのに。。。逃した魚は大きい(^^)



 
陶片も使いよう

寒くなってきました。ストーブにお世話になる日々。薪の間に挟んだ陶片を見ながら、こんな割れたものでも使いようがあるのかな、何て、先日のテレビを思い出していました。ひとりは三重県津市の陶芸家、坪島土平氏。も、ひとりは石川県の中村梅山氏の息子さん中村卓夫氏、も一人は、、、誰だったかな〜〜

梅山さんの作品の中に、木に埋め込められた陶片を見ながら、こんな使い方も楽しかろう、と思っておりました。

上の写真、薪に押しつぶされそうになりながらも・・・『ああ、俺みたい』 きょうも小春日和の一日でした。
 
幕末の蕎麦猪口

『今の時代の輝きが見えるような作風で宜しければお受けします』 つまり、『贋物』はお断りですよ、と暗に意思表示してから仕事をお受けした。この蕎麦猪口、幕末の形式を真似た偽物の匂いがする。50客の注文、先日のことだ。

『陶は政を語る』といわれる。力量のある職人や陶工が食えなかったその昔、贋作は中国や韓国の『十八番』ではなく喰えない職人や陶工の裏仕事だったのだ。

あの『真贋の森』(松本清張)のように アカデミズムへの敵意と復讐は、何も小説だけのはなしではない。

二十年ほどまえ、『魯山人』 の贋作を依頼されたことがあったが、『魯山人の価格で』 なんて言われたらぼくも『コロ』 っと、日和ったかもしれない。もうそんな時代は来ないだろうが、この蕎麦猪口 『今伊万里』 で・・

焼〆磁器

『焼〆磁器』、そんなカテゴリーがあるのかどうか・・
まぁ、誰かがやってるんだろうなぁ〜

それはそれ、きょうは俎板皿をつくります。焼き上がり一尺。

仕上がりは片身代わり、色絵吸坂です。華やかにいきましょう。

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きょうは窯出しから始まった


器は8分で仕上げろと言います。後は食材のために残しておく。ちょっと寂しいくらいが良いのです。きょう上絵の窯が焼きあがりました。

それからきょうは早朝、電話が入り『フジサワサン展示会をしているのでお越しください』と。なんだかきょうが最終日だそうで・・小松市に行くついでがありましたので顔を出してきました。


以前、丸八製茶場の三人展にお越し頂いた木下さんです。お歳をお伺いすると・・81歳とか。いやはや・・・『若イッス』ボーダーのTシャツが似合って(^^)

もうひとつ、撮りましたので、おまけ。


地元の老人会の美術展だとか。ここではぼくもヤングに見えたりして・・(^^:
ある美術家団体の重鎮のかたがたにも好評だった後ろに掛かった書。木下さんもたいへん気に入っておいでのようで、この場所、この部屋の正面です。手前にチョッと見えるカラス、諏訪蘇山作(カラス香炉)おそらく、これもお気に入りのよう。
足元がチョッと高くなっていて、躓いて危ないところでした(冷汗)

『雑樹異光色』 (沙於里さん作

木下さんはお坊さんです。
彼によると、『大樹も細々と生える木々も、それらが競合しあって活きている』ということが表現されていると言われました。向かって左の絵がそれを描いたものだそうです。雰囲気は冬の鉛色した北陸の空を髣髴させるなんとも暗いものでしたが・・(まぁ、哲学的なものは暗いです、なんたって、カラスが横に控えてましたし・・)

温かい一日で、行楽地は何処も一杯のようでした。

は〜〜疲れたぁ〜
こんど、皿に描く紅葉はこんな感じでいくかなぁ〜。



追加 『光』 部分


 
吸坂色絵椿文輪花5寸皿

『今から紅葉じゃ、もう遅いですよね〜』 『センセ〜そりゃもう来年ですわ・・』と、ギャラリー様。ぼくも『センセ〜』なんて言ってもらって、、その気になっちゃいけない。

そこで、、、椿を描くことになったが、、、我が家では細君が絵を描く。どうしても『オンナぽくなる』当たり前のことだが・・・それじゃ、気に入らない。で、、、、きょうは小生が『こんな調子』と筆をとり。。。

つまり、これはまだ焼きあがってない器なのです。これから葉っぱの青を差し、焼きあがるわけですが、、共同作業の工芸の難しさ、葛藤があるわけで。

さて、この吸坂焼いかがなりますやら・・焼き上がりは明日(^^)
 
秋のいろいろ。

昨日もチョイト書きましたが、備前で焼き物の仕事をしました。早々に止めてしまったのでいろんな方に迷惑をかけたと想います。

で、何故止めたのか、、、

京都や、焼き物の学校でやってきた轆轤が通じなかったからです。
つまり、、、轆轤を軽く見ていたのです。
土が違えば、焼も違う。同じように土の扱い方が違うのです。

今だったら、なんて・・・ふと、想います。
削り

昨日轆轤引きした擂り鉢の底を削りました。備前ではこの手のものを轆轤では削りません。ヘラでそぎ落とすように整えるのです。あ、そういえば、、、ぼくも備前でやってたことあるんです。略歴ではスルーしてますが・・(^^:

器は写真撮りのため自分のセーターに載せています。まだ口元が柔らかい状態ですからね。。。
 

桃山期の備前は今のような平地の田んぼの底から粘土を採ったのではなく、山土を使ったと聞いております。山の土は、川底に溜った土と違い荒々しいのが特徴です。ですから轆轤といっても紐状の輪積みづくりをしながら轆轤を廻した筈です。信楽でもそうですが、それ程粘りがなかったわけですからね。荒々しい素材であるがゆえに、力強い作品が生まれたともいえます。

桃山の備前の底は、この擂り鉢のように削ってはいません。籾殻の跡が残っているのです。そして殆どは一個引きです。ところで・・この器も、一個一キロほどの土を球にして轆轤でしあげたものです。このようにすると、土に加えた力がそのまま轆轤に据えた土に掛かるわけで、一個引きの面白さが表現できると思いました。

(一説によると、高台とは釉掛けの際、器を持つ必要性から生まれたと聞いております。備前のように、焼〆陶の場合、釉掛けは必要がないわけですから、本来高台というものはなかったのです。高台のついたものはしたがって、時代が下がるものが殆どです。ただ、瀬戸や美濃地方で見られる行基焼(山茶碗)などは釉掛けしたものではありませんが、付け高台なっております。ですから、全ての説明にはあたらないわけで、その辺りはかなり・・ミステリアスなのです。ご存知の方がありましたら・・教えて欲しいです)
白磁擂り鉢

白磁擂り鉢

ギャラリーさんのご注文でした。
この擂り鉢の中側にサビが施されてますが、それは先日吸坂手のところで書いた(水打ち)というものです。おそらく日本中何処でも鉄分の多いところでは目にする機会があると想います。

今回残念だったのは、擂り鉢の底ですが、藁による発色が期待していたほど出なかったことでした。ま、次は貝でやってみても良いかも・・なんて考えています。

下、貝による発色です。先日載せたものです。

焼き物は、基本的には窯で表現することだと今でも信じております。ですから窯で絵を描くというのがわたしの信条です。ただ、その信条が結晶成長したものとして、色絵や染付けなどが存在するわけで、絵だけ、というものは陶芸としてはよく分からない世界です。

いろんな考えがあるわけですが、これはわたしの焼き物感でして、、、ご議論するつもりはまったくございません、はい(^^)
 

追記
この器は擂り鉢ですが、実用のものは初めてつくりました。ですからもちろん自分で使ってみたのですが、『ナイス♪』でした。擂り小木は量販店で買ったものです。400円程度のものですがよくできておりまして、擂り鉢と違和感なく使えるかな、と思っております。

ところで、この擂りコギもわたしの手作りのものをご依頼いただいておりましたが、、、ま、今回はすり鉢をお買い求め頂いた方が、お探しいただけますようお願いいたしました(^^)

又、ご感想をお待ちしております。 


ちょうど、昨年のいま頃、わたしの自宅展の際DMを関東在、書家・沙於里さんにお願いしました。100枚のDM全てを『叶う』という字で書いて頂いたのもです。もちろん全て違った表現、一枚としておなじものがない、というものでした。このとき使ったプレートが藁による緋襷の発色です。

今年はその沙於里さん、グループ展が12月から始まるとの事です。
リンクさせていただきましたので、沙於里さんのブログ、こちらクリック







きょうはどうしてももう一度擂り鉢をひいてみたくなったので・・再度挑戦してみました。
上、