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焼き物やの暮らし


この仕事をする際、晩年の母が『焼き物で食べていけるのかどうか』と父に話しをしていたそうだ。 もうすっかり、ボケてしまっているとばかり信じていたわたしは、最近その母の言葉を重く噛みしめている。どうやら、ボケていたのはわたしのようだ。

わたしの妻の実家というのが数百年続いた窯元、その窯元でさえ『こんな調子』なのだそうだ。先日もわたしの金沢の友人曰く、『本来焼き物やはこんなもの』だったそうで、今までがおかしかった、という話を想いだしながら、近在のギャラリーさんに立ち寄ってみた。

器の品揃えが陶器から磁器に。『21世紀美術館ができて、・・』客層が違ってきたそうだ。つまり、都会化しているということである。この数週間、食べるためにどんな方法があるだろうか、と考えながらその日々に想いを巡らしてきた。

今日は京都の『うつわ屋めなみ』さんから展覧会の依頼を受け、帰ってきたばかり。さてどんな物語ができることやら。。。

写真: 京都北区小山花ノ木町 『うつわ屋めなみ』 玄関から写す
きょうはわたしがお伺いするとつたえてあったので、玄関のいちばん目立つところにわたしの器が居座っております。気を使っていただき(^^)嬉しいです(^^)展覧会は9月15日から。
電気窯の焚き方

久々の記事です。皆様お元気でしょうか。

このところ、わたしに電気窯の焚き方について『教えてください』と言われる若い女性の陶工がいらっしゃいます。多くの方々は、もちろん焼き物を知らない方々も含めて、電気の窯と言えば誰だって『スイッチひとつで焼ける』と考えている方が殆どだと思います。
昔のことですが、窯が1280度になって、還元用のLPガスの元栓を締めようとした瞬間でした。

そのプロパンガスのボンベ全体が『シュー』という音とともに見たこともない大きな炎に包まれました。そのまま放置すれば爆発するか、火事になることは目に見えて明らかでした。

一瞬の決断でした、火の中にある元栓に手を伸ばし完全に栓を締めたのでした。炎は消え、周りに焼け焦げた匂いが立ち込めました。それはわたしの髪の毛のこげた匂いでした。もちろんわたしの着ていた赤い毛糸のセーターは色が変わり、穴が空いておりました。膝元にあったビニール袋や天井につるした紐が変形しているのも確認できました。その炎の一瞬の強さは推して知るべしということでしょうか。

そんな訳で、わたしの髪はいまでもパーマが掛かったままです。テッペンは相当薄くなっている筈です。いい男も台無しになりました。火の中に飛び込むときは、頭に手拭を巻いておくのが良いでしょう。眉はあとで描けば宜しいのです(^^;それ以来、女性にもてる事もなくなったようです。昔の話です。電気窯だ、なんて侮らないでください。それがわたしの電気窯についての教訓です。お分かりいただけたでしょうか、久々のトホホでした。

追記

調査はいたしましたが、ガス漏れの原因はいまだに分っておりません。可能性としては安全弁からガスが噴出したようです。通常、気化したガスと違い液体のガスに火がつくと、液化したガスは気化したガスの数百倍の威力があるそうです。くわしくは・・・ガス屋さんに。
作家でもなく、職人でもなく

内容更新しました。

『最近、わたしのギャラリーも食器やさんのようになってきて・・』と仰る。作り手も『作家』ではなく『食器やさん』に特化したのだろうか。つまり創作から手業に変化してきたということか。

参考までに、アルチザン(artisan)というフランス語を リンクしておきます。

ある、陶芸家のしおりに、『作家でもなく、職人でもなく・・・』 と、記させていたことを思い出しながら。。。



写真: カボチャ香炉 製作過程です。 小壷でもいいかも・・・ん? 骨壷。
蓋に透かしが入ります。 それに、足も付く予定。  あ、いろいろ妄想できそう♪

写真下: 蓋の裏 面取りしてあります。
カボチャ


小さなカボチャです。ロクロで出来上がったばかりです。大きなカボチャはこちら・・・お人形さんの横にあります。この大きなカボチャについての説明はホームページで♪ 

ところで、この器、香炉です。焼き上がりはお楽しみください(^^)
小さなものですが、花を活けることも出来ます。
このあと、蓋を作り・・・脚をつけるわけですが・・・さて。

このブログをご覧になってらっしゃる方にご質問です。香炉や火入れなど、あ、火鉢もですが器のなかに釉が掛かっておりません。ご存知の方がいらっしゃったら、是非。
沢潟(オモダカ)と河骨(コウボネ)
先日、お問い合わせのあった染付輪花沢潟文(オモダカ)小鉢、ご注文の際、『あの、染付河骨(コウボネ)文のお鉢』と・・・調べてみました。

どちらも、夏の季語となった水草です。下の器はわたくしの窯で焼いたものです。沢潟(オモダカ)は古伊万里や、明代の染付けによくみられるモチーフです。これも大中小と絵柄もイロイロあります。わたしの手元には明代の本歌がありますが、同じ図柄も何故かすこしづつ真ん中の白抜きの図柄が違います。時代が下がるにしたがって、ただ丸い文様になっていますが、本来は白鷺の図柄がデフォルメされて描かれています。それが省略されていく過程が面白いです。



この下の写真は河骨(コウボネ)の古伊万里の図柄です。これもたいへん気に入ったもので、古伊万里としては幕末頃のものです。これはその本歌、もちろん骨董品ですが、これをわたしの器とコラージュさせたものです。もちろん、アソビではありません。それでも、このWebで調べてみても、実はどちらが正しいのか、(沢潟or河骨)わたしにもいまだ分らないのです。

はっきりしているのは、これを今月中には焼き上げないといけないだけです。器はその季節を大切にするからです。その夏の季節が過ぎると、こんどは色絵の季節が訪れます。わたしの仕事も、器やさんとのコラボレーションなのです。

さて、わたしの器やさんは6月の一ヶ月の間、この器を売ってくださるのです。小さなお店の器やさんだそうです。。。近く訪ねてみたいと思っております。

痛みに耐えて

改題しました。
 
むかし、そのむかし、当時ホントウに喰えなかった頃、この加賀市にある窯元さんが『良かったらおいで』 と声を掛けてくださいました。その窯元さんは、この加賀市でも有名な、今でも磁器を登り窯で焚くというだけではなく、ロクロ成形に蹴ロクロを使った窯元さんでした。

当時わたしは30代だったと思います。蹴ロクロにも興味がありましたが、その窯元さんの仕事にもたいへん興味があったのです。二つ返事でその窯元さんで働かせていただきました。が、その一週間後・・・『たいへん申し訳ないのですが・・・』と、止めてしまったのでした。

ぼくたち陶芸をするものの殆どは、いまでは電気のロクロを使います。蹴りのロクロや手回しのロクロを使った陶芸家を探すほうがたいへん難しい時代、その窯元さんはいまでも蹴ロクロや登り窯で磁器の焼き物を焼いているのです。

朝、ロクロのために土練りをいたします。その土練りは電気ではありませんから、つまり足で蹴るわけですから、通常の土の硬さではありません。当然はるかに柔らかい土でロクロを引くわけです。が・・・そんな柔らかい土であっても、お昼になると、もうロクロ場から立ち上がることができなかったのす。

それが、一週間つづきました。『たいへん、申し訳ないのですが・・・』 。身体が、とくに腰がつぶれる程、痛かったのでした。後に聞いた話ですが、いえ、その窯場の方々とは今でもお付き合いがあり、冗談半分に言われますが、『この窯はじまって以来、最短記録はフジサワサンです』と。あまり名誉なことではありません。今だって、一応は気にはしているのですから。

ところで、今日は久しぶりにプールで泳いできました。お昼過ぎから金津の陶芸家でMさんのところにお邪魔した帰り、時間があったので泳ぎたくなったのでした。本来はこのMさんがブログネタだったのですが、急遽内容を変更させていていただきました。というのも・・・何時もの背泳ぎからクロールに変えたあたりで例の肩の痛みが消えかかっているように思えたのでした。一気に200mをクロールで泳ぎ切ったとき、痛みを越えた痛みの静けさのようなものを感じました。もしや、まだこれからも泳げるかも知れない、と。今日一晩して、この一週間泳ぎに泳いでみたら・・・結果がでるでしょうね。

あの時、あの痛みに堪えてロクロ場に座り続けていれば・・・さて、どんな人生が待っていたろうと、ふと思いました。治るといいんだけれど。。。あの時は医者代さえも無かったのです。今だって大して代わり映えしておりませんが。。。

写真: 金津創作の森から


井上揚水: 『人生が二度あれば』

三寒四温??

とびっきりの仕事は、頭を悩ましまする。
総ダミする。さてその場合、ドナイしましょう。
筆を使うとうるさそうだし・・・
刷毛で巻くと、単調になりそうだし・・・
全面的に呉須を水溶きして掛けたとして・・
裏はドナイシマショ。
イロイロと、考えるのでありまする。
薪も拾いに行きました。

今日はそんなこんなの一日でした。
皆さん如何お過ごしですか?
一向に暖かにならない今日この頃です。

ベアベル

イランの森を歩く話しをブログで読み進むうち・・・カウベル(牛鈴)の他に、ベアベル(熊鈴)というものがあるということが分り・・・むかし娘がこの時期小学校の帰り道、この鈴をランドセルにつけて歩いている姿を思い出しました。

どうやら、この土地でも熊が出没するらしく・・見た事はありませんが、山菜採りのお年寄りによると熊と出くわすのは交通事故にあうようなもの、らしいのです。

その娘の歩く姿は、この小さな村の川に沿った細い道を・・・あの大きな赤い消防車がその赤いランドセルの後をゆっくり、ゆっくり付き添うのでありました。娘は後ろを振り返るわけでも無く、スタスタと歩いていくのですが、消防車はその娘の歩幅に合わせて・・・付いてくるだけでした。

玄関にはいまでも、この鈴が置かれています。この鈴を見る度に、あの十年ほど前の娘と消防車の距離感が思い出されます。それにしても、、、わたしたち一家は、まだ一度も熊とであったことがありません。昨日は小さなアライグマを見かけただけです。 山の中の静かな作陶生活です。お暇な折には立ち寄ってください。自然しかありませんが。。。
(続々田舎暮らし)

さて、なんだろか、と調べてみました。アライグマでもなく、タヌキでもない、もちろんハクビシンとも違う。先ほどやっと捉えました、写真ですが。。。そうしましたら・・・ムジナというものだそうです。もちろん、タヌキでもアナグマでもありません。これぞ『ムジナ』でヤンス。フム〜ま、これを動物園にするわけには・・チト(^^:) 仲良さそうですが。。。♪

さて、仕事します。

追記

その後、イロイロ調べてみましたら・・・どうやら、ムジナとはアナグマらしいと言うことが分り。。。写真でアナグマをみましたら、あ〜そっくりでした(^^)アナグマ,,,ここ
 
それそれの世界
 

Tさんは蒔絵師である。もう数十年も土と戯れ。。。すきなんだろうなぁ、ものづくり。ご覧の通りの作品作り。今日は我が家の仕事場で上絵の作業が待っていたらしく。。。

『今からでも、陶芸家になったら♪』 と。 『いや、とてもとても』 と。




どんな世界でも、この歳になると。。。高い山を目指すよりも、自分の足元を掘り進むのが通理にあっていると・・・

上手くないけれど、ぼくも・・下手なりに、お習字の世界。あ、まだぼくのはお見せできる次元ではありません♪