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中谷匡児さんへ


ネットはいろんな人と人を結び付けます。
今日は、二十数年前にお越しになった『季刊銀花』の編集長、細井さんとご一緒だった中谷匡児さんと、ネットで繋がり。。。

楽しくお話させていただきました。
頂いた、『書』 ふたたび。

追記   中谷匡児さんはブログをつけていらっしゃいました。ブログはこちら
縁があれば。。。



小川静代さんは小松市在の人形作家であった。いや、今でも作家である。わたしと彼女との出会いは何時だったか忘れたが、たしか同市の『銀花ギャラリー』のWさんのご紹介だとおもう。今考えても接点がそこにしかない。

ところでその小川さんと来春コラボレーションを考えていたが、この景気、ぼくは仕事に手がつくかどうか自信がなく、とりあえず、延期ということにした。

上の写真はその彼女の作品の一つ、『藤の人』であったか、。。。
後々お尋ねしてみると、藤で編んだカゴとのことであった。
その当時の写真家の名は失念。

さて、下、銀花編集長の細井富貴子さんと一緒においでになった、中谷匡児氏のもの。
わたしのために書いてくださった。



さて下、小川静代さん。この当時50歳と伺っている、たしか。。。
視線が会うと。。。わたしは目をそらして。。なんだか透き通るような瞳でなんだか、怖いような。。。あ、今思うと『残念なことをした』と悔いている。(今はダイジョウブ)

ご縁というものは不思議なもので、今日、そのWさんのお嫁さんから電話があり、明日おばあちゃんと一緒に伺うという。もうWさんではなく。。。おばあちゃんになられたWさんをあす午前中。。。。(ほんとうに何年ぶりでしょうか・・・こちらにお越しになられるのは、それも、そのブログの当の本人ですから、ふしぎですねぇ。ご縁ですかねぇ〜)

沙於里さん、不思議なご縁とおもわれるでしょうが。このブログ、お読みでしたら、お聞きしておくことでも。。。。別に今日でなくったっていいですが。。。では。

写真: 著書「夢幻人形が往く - 小川静代作品集」 聴潮閣 より転載。

 

ホームページは  ↓ ↓ ↓

 
『質や』暮らし


ぼくの生き様は金をどう都合するかの人生だったよう。
ものを作り売る。その当たり前のことがなかなか出来なくて。。。。
そんな時、一番に活躍してくれたのがnikon-F という写真機。

東京にいても、京都で修行中も・・・あちこち『質や』さんがあった。
そんな経験も、この加賀市ではなかなか役立たなかった。
それは・・・・『質や』というものがなかったから。

それでも、何とか見つけた『質や』が、山中温泉にあった。
当時は加賀市ではなく、隣町の山中。
電話帳であちこち調べ・・・やっと見つけたその『質や』 たった一軒。
看板もなく、普通の家。玄関に洗濯機が置かれ、どうやらアパートの一室のよう。
半信半疑で、声を掛けてみた。

ところでぼくは、TVに出たことがある。
通常、その賞味期限は一日、と相場は決まっている。
『はい、いまから本番撮りしま〜す。 はいキュー』ってな具合でその瞬間、キャスターの表情がマジになる。そのキャスターの目はぼくに『間違うなよ〜!』って、脅しを掛けているようで、明らかに威圧感溢れて。。。

そのTV撮りも、もちろん練習があって、『こういった質問をします』とか、細かな打ち合わせがあった。『スミマセンこれじゃや誘導してるみたいで。。。』なんて、結構これが微にいり細にいり。。。
そして、最後に、『あ、ところで・・・藤澤さんNHKの受信料、お支払いいただいてますね』ときた。
『そんなもの払うわけなかろう』 とは思っても、『はぁ、そのTVそのものがなくて。。。』 とか。。。。
しっかり、TVは奥に隠して。。。

なんだか、いい加減な人生、今思うと。。。
さて、その『質や』さん。 ホドホドのお歳の奥さん風、ぼくを見るや『確かTVに出てましたね。陶芸の。。。。』 エエエエ〜〜 と、天井を見上げた。賞味期限はまだまだ、ダイジョウブのようだった。


ぼくも支えてもらいたい。。そんな気分で 今日の一曲 stand by me (John Lennon)
手仕事


小松市に住むWさんの具合が悪いと聞く。 
もう75歳くらいだから、はじめてぼくの家においでになった頃は、50歳くらいだった筈。もうすっかり、お年寄りになって。。。。。弱弱しく

その当時ぼくは二つのTVに出たことがある。民放とNHK。
地方の紹介番組だったように、記憶しているが。
その放送が流れた直後、Wさんはお嫁さんと息子さんの運転する車でおいでになった。そして、それが縁で。。。。。

暫くすると、彼女は文化出版の『季刊銀花』と契約して『銀花』コーナーをつくる。
何度と通ううち、その趣味、好みが分かってくる。
そんな、なんとなく癖のある焼き物が好きだったようで、ぼくの作ったものを良く求めて頂いた。それはぼくがいまの磁器の焼き物をつくるまで続くのである。

ある時、Wさんは文化出版の編集長 細井冨貴子さんとカメラマン、デザイナーを伴ってぼくの家に取材が。そして、依頼されたのが全部違った2千の焼き物のプレート。それを『季刊銀花』の表紙に貼るという。あの佐藤勝彦とおなじ。

ものをつくるのには二つの基準がある。先日ぼくのお邪魔するブログ『心の免疫力〜書とことばから
』の一節にふと目が留まった。引用する。

『書作品には、「率意(そつい)の書」と「刻意の書」がある。
率意の書とは、いわば即興的に書き上げた作品、
それに対して刻意の書とは、あらかじめ周到に準備されて書いた書のこと。』

そしてこのように続いた。

『木簡はほとんどが率意で、当時の庶民のメモ、書簡など日常的なものがほとんど。
なので飾り気もなく用筆もシンプル、素朴で無造作な印象が強く。

私はどうもこの木簡に惹かれる。
何があっても動じないような懐の深い、情味溢れる木簡が好き。』

さて、ぼくが求められたのは『書』でいえばどちらの作品に位置するのだろうか。ふと、Wさんを想った。

写真: 三嶋手筒向付け  その当時作ったもの
秘密


先日の銀座松屋『今様 九谷焼 四人の器』 出展の際、40年前同窓だった桑沢デザイン研究所の仲間が集まった。総勢6人。どんなに探しても分からない中山くん。そして男はぼくと萩さんだけ。。。

ぼくらの学校は夜間が有名だったそう。優秀な人材をもとめて、ヘッドハンティングなんてものもあったくらい。その教室の隣の席が例の萩さんだったのか、ぼくが振り向いて話をしたのが萩さんなのか、きっとどちらかなのだ。

それから40年、ぼくたちは振り向くように今だって出会っている。きっとその時もそうだった。いつも笑みを絶やさない萩さんに、もう亡くなったKさんが中心になりながら大きな輪っかに広がった。人望が厚かったのだ。

いつだったか、ぼくは『写真家』になろうと思った。いや、今思うと若気の至り。。。恥ずかしい限り。。。でもそのときは、結構マジで。。。いいぇ『プロバチ』 なんて夢にも。。。。
それで、写真機を買う契約を済ませて。。。Kさんに保証人になってもらった。が、これが通らない。担当者は口を濁すだけ。

Kさんは学校を卒業するとデザインの仕事を細々とやりながら・・・20年後に酒に溺れ亡くなった。依存症と膵炎だったという。その最期の姿を看取りながら・・・その時も仲間全員が集まった。その人生の厳しさを哀しい嘆きの只中で静かにぼくは想った。

在日と言う厳しさ、ぼくだけの秘密だった。

(中央ネクタイ姿がKさん、その横斜めのがぼく、ブログがあるから出来ることもあるね)
『カボチャ蓋もの』と今日の運勢


ぼくは2月生まれの水瓶座、今日の運勢・・・なかなかいいらしい、経済運。
朝から、例のキツツキがコンコンとやり、しばらくすると・・・『ブリ起こし』。。。。
(北陸では冬の訪れの嵐のことを言います)
『今日は窯詰めよ!』という細君の声もまるで『ブリ起こし』   

ああ、それにしても・・・数日前から  風邪
若干熱もあるらし。。。『葛根湯』  5日間 効き目なし
いよいよ。。。抗生剤  好きじゃないけど。。。。気管支炎らしい

そう言えば。。。。昨日はお仕事の話が、窮すれば通ず。
チョット元気になったのに。

どうやら今日は・・・・健康運には見放されたよう。
今月中に収める仕事。
仕事があるうちはいいらしいです。


 


ま、こんなところで。。ドリカム!


秋の訪れ


数年前、事情があってウサギを預かったことがありました。
その時の三匹のウサギの一匹。名前はキャサリンと言います、なぜか分からないけれど。。。

お母さんウサギで、あと二匹はその子供。
実は、まったくなつかず、鼻に触ることも出来なかったのでした。

娘が首輪をつけて、散歩しようとしても絶対に拒否。
つまり、娘の遊び相手にはなりませんでした。

ウサギは寂しいと死ぬ、っていわれていましたが。
この子供の雄ウサギは『雷蔵』といって、かなり慣れていましたので、
ちょっとは可愛かったのです。

ある日、狐が来てキャサリンは連れて行かれました。
確か、冬の寒いときでした。足跡が点々と雪の上についていたのが。。。。チョットかわいそう。

『雷蔵』はある時、家族で旅をしなければいけなくなり餌を多い目に置いて出かけた後。。。。そうです。。。。寂しさの余り。。。。食欲もなくなり。一週間もするとあの世に旅立ちました。

その時の娘をチラッと見ると。。。。下を向き、・・・・ポツンと。。。

この三匹のウサギを飼っていた妹は既に亡く、ウサコはわたしたちの元から去っていったのでした。動物を飼うこともそうですが、人と人との繋がりも、また。。。。出会いもあり、別れもあるのです。

でも、それを恐れていては。。。もちろんあたらしい出会いは訪れません。

冬が来て、またあたらしい春が来るように・・・季節と共に生きていきたいなぁと感じました。しんみりと。。。。秋の訪れを感じながら。
 
褒められて、褒められて。。。
新しいプールの爺さま監視員さんと親しくなり。。。。
『美しい泳ぎですねぇ〜』と言われた。

は〜この水泳を始めて10年、おそらくこんな褒め言葉、初めて♪
そして、『今日は先生はお休みですか?』との問いには、チョット戸惑い。。。。
あは、例の『人魚姫さん』のこと。

『18ストロークで泳いでましたね、伸びてましたな〜』なんて、ク〜〜うれし〜 ♪
それにしても・・・何にもしてないようで・・・・やっぱ、監視員さん、数えてはるんや。

褒められると調子づくのもやっぱりB型。

『上を目指す方はやっぱり違うもんですなぁ〜』 と。
これで決まり!!

仕事もこうでなくっちゃ、と泳ぎもほどほどに。

今日の一日でした。これから、素焼き。。。。

ところで、この本、良く売れたそうですね。でも、自分のことは自分で分かる。
他人を知るために読むそうですね。ところで、B型に関しては、あたっていそう(^^);

テキヤ家業


今から20年ほど前、石川県物産展というものがあり、その際ロクロの実演をして欲しいとの話があった。初めてのことであり、人前で実演なんて出来るかしら・・・と思いながら。。。。『各地の美味いもんが味わえるよ♪』という甘い誘惑に負けて、なんだって、シャイで人前で話も出来ないウブなぼくのことだから、そう、B型、行動力はこれだけ、で参加することになった。

初めて行った所が静岡のデパート。前々日に自宅の電気のロクロを外し、梱包して運送屋に、そのロクロを舞台を作るようにコンパネで上手に仕事場風に。土は九谷焼きなのに、なぜか信楽。。。。う〜ん素人にはわかんない(^−^+ 見た目はおなじ。。。『はい、!始めてください!』ああ、ほんと緊張しました。もう人が山のように。。。。

それも慣れてくると。。。『ハイ、なにかリクエストは?』 んなんて。。。もうすっかりテキヤ風。そんな旅を何度かしたっけ。いま思い出すと、、水戸や鹿児島ってのがあって、美味しいお酒なんか呑めたりして。。。。

で、そんな生活もそろそろ飽きてきた頃、『藤澤さん、今度〇〇であるんですが』と話が入る。で、ぼくの友人である安曇川のTくんに電話した。『美味しい酒も呑めるし、きれいなねーちゃんもいるから』って、ま、嘘も方便。Tくんは九谷でもなんでもない他所の産地。あのキャッチコピーに負けたのか、『よし分かった』と代役が決まった。

石川県の物産展、九谷焼もそのひとつ、他産地のTくんがロクロ実演、もちろん通常 × だろうなぁ〜〜そこはぼくも彼も一緒に修行した仲、まあ、手の内も分かっているし、技術もしっかりしてるから、もち、ダイジョウブ、。。。。と思ったのだが。。。。。。

あの、デパート、ご存知の方もいらっしゃることでしょう。なんたってエアコンが効いている。自然の山の中で暮らしているTくんとて。。。。たちまち咽をやられ、発熱。ロクロ実演どころではなく、控え室で寝たっきり。

後々言われました、業者から電話が掛かってきて。。。。その女性曰く『わたし、あの人、嫌い!』『だって、ああ言えばこう、こう言えばああ、』『ロクロもしてくれない!』 ぼくも長い間お付き合いのあるこの業者、『でも、風邪じゃぁネ』 とか何とか言ってるうちに、ぼくとの関係もコジレ。。。

なあ、Tくん たのしかったね ♪     いやぁ・・・参ったよ(^−^;
人生が二度あれば


今から数年前、美人専門のとある有名な写真家のもとでヘアーメイクを担当する人が来ました。ま、Aさんとしておきます。Aさんは骨董蒐集が趣味で、そのうち自分でもそんなお店をしたくなったのでしょう。わたしの工房にやってきたのです。

大変おしゃれな方で、オーデコロンの香りがプンと、こちらは、なんていうか。。。。加齢臭(^−^;
髪はオールバックというのでしょうか、きれいにジ・・・何とかで手入れさて、そういえばぼくのは歯抜けの畑のよう。。。子供の頃はスズメの巣といわれ、天然。。。履いている靴は・・・チョット持ってみるとなんと軽い、たぶんイタリー製。その隣のぼくの靴、さるスポーツメーカーのものですが・・・そのなんと重いこと。

で、わたしに焼き物を作ってほしいということでした。作品は古典の写し。もちろんわたくし、なんだって写します。で。。。。。仕事に掛かりました。お取引が始まって 暫くすると、赤の色をもう少し濃くしろとか、もっとモダンな感じにとか・・・・まるで、口紅じゃないんです。焼き物やし、そんなこんなの仕事をしているうちに・・・

ある時電話があり、お取引の相手が来るので来てくれといわれました。勿論、仕事ですから・・・飛行機で。。。いつもだったら夜行のバス。で、そのお客、銀座でいちばんの天麩羅やとのこと・・・う、ん、喰ったことはないですが、名前はどこかTVかなにかで・・・・

で、その天麩羅を盛る鉢が欲しい、というのではないのです。その天麩羅の衣を練る8寸ほどの鉢が欲しいとのことでした。いや〜〜〜おどろきました、一つです。

わたくし、生まれ変わったら商売人になろうと思います。なんたって資本はなし、アウトソーシングです。でも・・・欠けてるのもがありました。ああ、ぼくの個性。なんとかせんとなぁ〜〜〜B型やし。協調性もなし。。。ああ、そう、それに『打たれ弱い。。。』